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八十八話 訓練
朝八時、中隊全員が武装し営庭に整列していると、馬に乗った吉野中隊長が現れた。二名の小隊長(二つの班で一個小隊)から部下掌握の報告を受けている。
馬上、吉野中隊長の顔は蒼白。野戦を主とする歩兵の中隊長というより、作戦参謀のような雰囲気だ。冷徹で、どこか人を寄せ付けないオーラを醸し出していた。
事前に寺尾兵長から聞いた話では、父親が少将で、どこかの旅団長らしい。
吉野中隊長は、二名の小隊長に古兵の訓練を任せ、新たに配属となった二十名の訓練は、田村班長に一任した。
馬上、自ら先頭となり、練兵場に向かう。東には果てしなく広がる荒れた曠野。乾いた風がとにかく冷たい。半地下の建物が点在する連隊の敷地を離れるに連れ、新兵たちは不安の度合いが増していくのを感じた。
練兵場に着くと、中隊長は匍匐前進をさせるよう田村班長に命じた。
新兵の体力を見ようとしている――浅井の腹は決まった。
田村班長は、新兵を荒地に散開させる。そして、適度に散らばっているのを見ると、「匍匐前進!」と怒鳴った。
当時の青年たちは、民間であっても入営前、青年団などで匍匐訓練を受けている。浅井も中学校に教えに来ていた陸軍の配属将校から訓練を受けており、まごつくことなく全身を伏せ、匍匐前進の体勢に入った。
しかし、校庭と違って、極寒の荒れた凍土。しかも、朝飯抜きときた。
かつてとは、次元が違う状況・・・とはいえ、馬上、吉野中隊長の目があり、手抜きなど出来るわけがない。
浅井は、凍傷覚悟で四肢を激しく動かした。他の新兵から遅れを取ることは許されない。全身全霊、死に物狂いで前進を続けた。
どれくらい進んだだろうか。目の前に泥だらけの軍靴が現れた。
見上げると、浅井と同じ班の古兵が、砲弾を持って立っている。古兵は、匍匐前進を終えた新兵を集合させていた。
息つく間もなく次の訓練が始まる。
まず、中隊の命令で、砲弾を抱えて荒野の窪みに身を潜める。そして、向かって来る戦車の前から飛び込み爆破させる。いわゆる肉攻の訓練だ。
訓練用の砲弾には、信管がついていないので、爆発の心配はない。しかし、口径十一センチ、重さ三、四キロの砲弾を抱え、敵戦車前に飛び出す訓練は、中隊長が新兵に何を求めているかのかが知れ、慓然とした。
中隊長は、関東軍在籍時代、ノモンハンでソ連軍と戦った経験を持つ。その経験から、砲弾を抱えて敵戦車に飛び込む肉攻訓練を課すのだろう。
まずは新兵の体力を見る――中隊長にして、その種の考えは一切なかった。
「自分たち新兵の命など露とも思われていないのではないか」
戸惑う隠せない浅井。一方、「これぞ國語の教科書で習った爆弾三勇士では」と思い、胸が騒めき立つ自分が居る。
「自分が爆弾三勇士に・・・」
そう自覚した瞬間、霧が晴れるかの如く、真実が見えた。
最大限モチベMAX。
浅井はこうして、極限を超えた、血反吐を吐くような訓練を、懸命に繰り返していくのだった。