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百五話 済南作戦

 「また、聯隊は、第二大隊長の筒井少佐が指揮する混成一個大隊を編成。同年十一月十六日から翌昭和十三年一月十八日まで、済南作戦に参戦した。北京から三百粁米km強南にある山東省済南は、北は北京、天津、南は南京、上海の間に位置する交通の要衝。東の山東半島が、渤海と黄海に面していることもあって、商業都市として栄えている。千年の済南事変までは日本人経営の病院もあったほど、邦人居留民も多かった。そのため、我が天津軍司令部は、山東省では戦火を避ける方針で、山東省政府の韓復榘首席等省首脳部に邦人権益保護を依頼。省当局より統制の及ぶ限り保護する旨回答を得ていた。が、昭和十二年十一月十七日頃より、韓首席指揮下にある第三路軍が、邦人の遺留財産をことごとく破壊略奪、拉致、放火など、暴虐の限りを尽くした。これにより、天津軍司令部が鉄槌を加えることにしたんだ」
 「それはそうせざる得ないですね。しかし、また公約破りですか」
 「心底けしからん奴らだ。こうして十二月二十三日、折から黄河北岸に集結して渡河の準備をしていた我が軍は、寒さを冒して夜間渡河を決行。石家圏、鉄匠家、楡林鎮等の要所を占領した。二十六日、済南城に肉迫してからは、翌二十七日朝城門を突破。その日のうちに済南城を占領したんだ」
 「あの世界四大大河の黄河を渡河ですか!」
 「ああ、済南の北側に沿って流れてる。幅は、北京の西側に沿って流れる永定河よりやや広いな」

 実は、今こうして寺尾と浅井が乗る列車を降りた先には、黄河渡河が予定されていた。無論、二人が、そのことを知る由もない。

 「それにしても快挙続きですね」
 「気の休まるときがほぼなかったなけどな。翌十三年二月二十三日には、支那駐屯歩兵団が編成され、初代団長に山下奉文少将を迎えた。三月一日付で、牟田口連隊長が少将として満洲国境守備隊司令官に栄転し、替わりに長谷川基大佐が二代目連隊長になった。この編成で、昭和十二年に一都三県と山梨から徴収された現役兵五百八十余名が、三月一日、北京城外の清華園に入営。同日の臨時召集により東京と甲府の連隊に入隊した八百余名が、十六日、補充兵として入隊して来た。彼らの約三分の一に当る五百三十余名が中等学校以上の卒業者で、さらにその内約三分の二に当る三百六十余名が大学、専門学校の卒業者だった。そのため、インテリ部隊と呼ぶようになった」
 「凄いことになりましたね」
 「日露戦争の頃、字を読める兵隊は、中隊に五、六人だったというから、大した進化だ。最初、弱いかと思ったら、これが強い。理解力、判断力の素地があるから、第一期の教育が終わった頃には本物になった」
 「なんと、自分たちも負けてられません!」
 張り切る浅井を尻目に、「フッ」と笑い、「責任感の強さゆえ、すでに名誉の戦死を遂げた者も多いぞ」と寺尾は言った。

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