コミュ障と言葉の表現力
「私、コミュ障なんで、、、」よく耳にします。
コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。
実際に社会的に定義されるコミュニケーション障害とは大きく異なり、
他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、
とても苦手な人のことを指して言われる。
それだけコミュニケーションをとることが難しくなっているということなのかもしれません。
コミュ障が多いなぁ
インターネットの変化により、ものすごいスピードで社会全体が大きく変わったこともその一因ではないかと思っています。
情報はネット検索で簡単に手に入るようになりました。ネット以前は知らないことは知っている人に教えてもらわなければならなかったわけです。どれだけ面倒な人であっても知り合いの中で知りたいことについて1番くわしいのなら、その人に聞くしかなかったのです。そのため、時間をつくって尋ねたり、会いに行ったり、一緒に食事をしたりして、教えてもらっていました。もちろん相手に伝わるように自分の言葉で表現して話します。
リアルで会うことは
相手に会いに行った先にたまたま自分の知らない人がいることもあります。そこで最初は緊張しながら自己紹介をし新しいつながりができたりします。そういうことを続けているうちに顔を見せ合うことで、変化に気づき「最近何かあった?」みたいな会話も生まれ、意外にいい人かもと思ったり、悩み相談ができたりして、温かいつながりが生まれていたのだと思う。表情や態度など言葉以外の表現のやりとりもそこにはありました。今でもそのようなことはもちろんありますが、以前より少なくなっていると感じます。
数年前までは、リアルで会うこととネットで話すことは別という感覚でしたが今はネット自体がリアルになっています。ツイッターやインスタなどのSNSで地域世代を越えて、たくさんの人とつながることができるようになりました。しかし、その一方で先ほど書いたように直に会って会話をするような機会は減ったように感じます。
言葉の表現力
ネット以前は同じテレビ番組をみたり、同じブランドのショップで買ったりしていたので共通の話題も多かったです。今はそれぞれがスマホで自分の好きなコンテンツをみたり、SNSでつながっている友達と話し、その内容はとても狭い範囲でより深い内容になっていると思います。なので、その仲間同士にしかわからない略語や専門用語も使っていることが多いと思います。
そのためか、リアルでのコミュニケーションが苦手と感じている人が多いです。僕のまわりの後輩や友人にも「人と会うと気を遣うから疲れる」「自分以外に2人以上いるとどちらに会話を合わせていいかわからない」「相手を不快にさせてしまうのが嫌」と言っててめっちゃわかります。
「それってヤバくない?」「ヤバいヤバい」「めっちゃヤバいよね」
最近カフェの店長さんからリアルで会ってるときの会話がヤバイで成り立っていると聞いて納得しました。
そういえば、SNSで絵文字や顔文字、スタンプ、写真を使うようになったことで、詳しい具体的な説明や感情表現を表現しなくなりました。LINEで食べたラーメンの話をするとき「このラーメンうまし!」+笑顔の顔文字+写真これだけで相手に伝えています。返信にはスタンプがきます。
写真や顔文字がなければ「ここのラーメンがおいしい」を伝えるとき、どうおいしいのか、たとえば、「だしが効いている」「うまみと塩味がちょうどいいな」「お腹がよろこびでみたされた」「この店に行ってよかった」などと言葉にする必要があります。
ということはSNSでは言葉で表現する力が必要なくなったということです。そして今はもう言葉で表現しないことに慣れてしまっています。
SNSに慣れると当然リアルでも同じような表現をするようになります。だから相手に自分の意見や思いを伝えているつもりでも通じていなかったり、誤解が生まれることが以前より増えるのです。そうなるとコミュニケーションをとることは難しく、人間関係がより面倒くさいものと感じるようになります。あまり知らない人とは会話ができないのではないかと不安になるので、自分の言葉が通じる、つまり言葉を省略していても伝わる、それでも共通のイメージができる距離の近い人としか会話ができなくなります。このようにして、コミュ障が誕生するわけです。
出会いは人変える!
そう考えると僕もコミュ障なんですけどね。そもそも人間関係は面倒くさいものなんですけれども、そこまでして人に会う理由は何なのか。わからないことはネットで調べられる、ゲームもネットで一緒に遊べる、SNSで友達もでき承認欲求も満たされる、モノも食事も買える。だから、それでいいやんて思います。
でも、出会いは大事なんです。なぜなら、新しい人との出会いは新しい何かを生み出すからなんです!そうしないと世界が狭くなってしまいます。このスピードの速い時代に鎖国状態です。
人に出会うことで、1人でいるときには気付けないことに気付けたり、自分のやりたいことがみつけられなかったり、人の役立つことがわかったりします。
たとえば、あなたの近くで転んで泣いている少年がいます。ひざにすり傷ができ血がでて痛そうにしています。そのとき「だいじょうぶ?」と一声かけるには勇気がいるのですが、一歩踏み出したその行動が「うん。ありがとう」という少年の感謝の言葉と笑顔になって返ってきます。その少年が家に帰ったら、きっと家族や友達にこの出来事を伝えると思います。そして、話を聞いた家族や友達も温かい気持ちになると思います。
一歩踏み出したあなたの勇気、たった一言や行動が人を温かい気持ちにさせ、そして連鎖していきます。
そんな温かい世界に僕らは住んでいるのです。