だんご三兄弟の一番上は本当に長男なのか。
もう20年近くなるんですかね、だんご三兄弟って歌が爆流行りしたんですよ。
俺も小学生とかやったと思うんすけど、団子も売れたみたいなんがニュースになってて、どこもかしこも団子三兄弟で、多分みたらしの呼吸とか言うて鬼の首に串でも刺してたんちゃいますかね。当時ものすごい人気やったんですよ。
ただあれ、昔から不思議やったんですよね。
「一番上は長男、一番下は三男、間に挟まれ次男」って歌詞じゃないですか。
だんご三兄弟って、一番下が長男やと思いません?
だんご三兄弟が生まれたって事はさ、彼らはだんごの状態になった瞬間が、生命の誕生であり絶望の始まりな訳やないですか。
ってことは一番はじめに串にささっただんごとして、串上に生まれ落ちるのは、一番はじめに刺さる団子ってことになるでしょ。
一番下ですよね。
何で一番上に長男がいて、一番下に三男がいるのか、全然わからへんのですよ。一番下が長男やのに、他の兄弟を勝手に弟呼ばわりする頭のおかしい末っ子が最上段に鎮座してる事になっちゃうんですよね。
ただ事実は歌詞ですから、一番上は長男と名乗り、上から順に次男、三男だと自分で思い込んで、名乗っている訳ですよ。
となると逆になぜ、一番先に自我が芽生えた長男は、次男三男が生まれる瞬間に立ち会いながら、自身を三男だと名乗るんですかね。
絶対下のやつが先やのに、なんで上を長男と呼ぶのか。
皆さんもお気づきでしょうが、このパラドックスが起きるのは生誕を串起算で考えているからにほかなりません。
団子は串に刺さったときではなく、丸められた状態もしくは生地の状態ですでに自我はあって、串にささる順番は関係なかったと。
誕生は串起算ではなく、生地起算だったら辻褄が合うじゃないかと、皆さん思っておられることでしょう。
ただ、考えてみてくださいよ。
もし生誕が団子起算だとすれば確かに串の順番は成立します。
ただ串に刺す工程は、地獄絵図だったんじゃないでしょうか。
生地として自我がある訳ですから、こねくり回されている最中に意識が芽生えます。
そして自我を持った三つの団子が肌を寄せ合っている訳ですよ。
「お兄ちゃん怖いよ…」
「大丈夫…俺がついてるから…」
なんて励ましあっている最中、まず三男が串に刺される訳です。
「お兄ちゃん!いやだ!いやだぁぁ!!ぐうぇは…がは…くっ…」
なんかってもがき苦しみながら、死ねぬ痛みに耐えた事でしょう。
弟想いの長男は、愛する弟の苦しむ姿と後の自分の姿を想像し、震え上がっていたことでしょう。
串起算の誕生だとしたら辻褄が合わないし、かといって生地起算だと見るに堪えないストーリーになってしまう。なんかだんご三兄弟って、どっか不思議な気持ちになる歌なんですよね。
それこそ歌の中でもあった焦げ目のことなんかで喧嘩出来るまでには相当のメンタルケアがあったことで….
焦げ目のことで…喧嘩?
焼かれてもなお喧嘩が出来る余裕…
こいつら…痛覚が…ない…?
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