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馬の耳に念仏に、破綻の可能性が見える
ことわざって、全然新しくならないですよね。
一石二鳥とか、石橋を叩いて渡るとか、有名なことわざって沢山あるのに、アップデートされる事なくそのまま使われてるって、おかしくないですか?
それこそ一石二鳥って、今の時代鳥を石で落とす事自体が、別にラッキーなことでもないやないですか。大体、前提としてる「一石で一羽」って考え自体がしっくりきてないのに、一石二鳥だけ生き残るって、おかしいと思いません?
石橋を叩いて渡るのだって、そもそも石橋が無いですやん。加えてコンクリートが主流の今、石でできた長い橋があったら、叩いて渡りたくなる気持ちもわからんでもないですよね?せめて、「コンクリ橋を叩いて渡る」くらいにはしとかんとあかんと思うんですわ。
そんなことわざですけど、最近聞いてすごい引っかかったことわざがあるんですよね。
それが「馬の耳に念仏」ですわ。
価値がわからないものに与えても意味がないってことわざで、豚に真珠や猫に小判と同じ意味でございます。
ってものこの馬の耳に念仏。
ワンチャン、ご利益ありそうじゃないですか?
それこそ牛にクラシック聞かせると、ストレスが軽減されて美味しくなるとか言うや無いですか。それとおんなじで、馬の耳に念仏ってもしかすると何かしらのご利益がありそうな感じがするんですわ。
「念仏を聞かせ続けたサラブレッド」
なんか戦略的な走りとかしそうな気がしませんか?
ことわざにするほど、あからさまな無意味ではない気がするんですよね。
思うんすけど、コイツも変えた方がいいと思うんですよ。
馬の耳に入れるにしても、もっと意味のないモノに、変えるべきやと思うんですね。例えばこちらですね。
「馬の耳に訓示」
僕らでもぶっ倒れそうになる訓示は、馬には意味がないでしょう。念仏よりも、価値を無駄にしてる感もありますし、まだ訓示の方がマシやと思うんですよ。
あと同じ意味のことわざで「兎に祭文」ってことわざもあるんですって。
日本の祭り事で読むありがたい言葉らしいんですけど、神社で神様とされていたり、月に住んでるとされている兎に、祭文が無意味ってダブルスタンダードも甚だしいでしょ。
これも変えた方がいいですね。例えばこんな感じですね。
「兎に仮想通貨」
豚に小判ですら無意味ですから、いくら神として崇められる事があるとはいえ、仮想通貨は使えないでしょ。ビットコインの暴落で兎は頭を落とさないやろうし。
あと「犬に論語」ですね。
豚に真珠パターンの言葉って多いんですね。それでいて、まだまだアップデートされず、パッとしない感じになっちゃってます。
犬に論語も、賢い犬が生まれそう感は否めないので変えた方がいいでしょう。これを変えるなら、こうですね。
「グッピーに論語」
聞こえてるかも分からんですからね。身が柔らかくなったり、美味しくなることもないでしょうし、グッピーにはいらんでしょ。
最後、「牛に経文」なんてのもありました。
クラシックを聴いてリラックスできる崇高な動物の牛と、人間でもなかなか理解が難しい経文。こんなの、ありがたいものを与えても意味がないってことわざというより、「経文をあげる奴がどうかしてる」ってことわざになりそうやないですか。
こんなの丸々変えてしまった方が良いですね。コイツは、こんな感じでしょう。
「小3に課長職」
小学3年生で課長なんてえげつない快挙ですけど、次長と課長の差がわかるはずもない小学生には意味なんてありません。
まさしく、小3に課長職、馬に経文ですよ。
ことわざって、崇高なたとえツッコミやと思ってるんですよ。レベルが高すぎて学問になってしまった、登竜門を越えた鯉のような言葉やと思うんですね。
だからこそ、どの時代であっても圧倒的でなければいけないと思うんですよ。時代錯誤の古臭いものではいけないと思うわけです。
今後ますますのことわざの発展を祈願いたしまして、締めの言葉と変えさせていただきます。