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随筆(2020/5/21):「出来る」と「やれる」は違う

しばしば、
「あれをやれ。出来るだろ」
と言われて、
「出来る」「出来ない」かで言えば「出来る」が、何らかの抵抗が、嫌さが、キツさが、「出来なさ」がある。
しかし、「出来なさ」と言うと、多分伝わらないだろうな。
どう表現すれば、しっくり来る言い方、伝え方になるんだろう。自分でも釈然としないぞ。
それはそれとして、しっくり来る言い方、伝え方が、現にこうして出来ないのだから、やらなならんのだろうな…
と思うことが多々あった。

***

最近ようやく言語化出来るようになってきた。
俺は「出来る」「出来ない」ではなく、「やれる」「やれない」の話をしたかったのだ。

「出来る」というのは、主体の選択を無視した、単なる可能性でしかない。
主体の選択を考慮に入れたら、それは「やりたくない」とか「コストに見合わない」とか「他の案件の方が優先される」等の話は避けがたくやってくる。
そして、それらは、軟弱とか何とか言わずに、考慮せなならん。それが、管理ということだ。
「出来ても、やれない」ことは、山のようにある。そこは、そういうものだ。ガタガタ言っても仕方がない。
やる気やコストをたっぷり補うしかない時もあり、そういう時は四の五の言わずにそちらを積まなければならない。

***

そんな訳で、今度から
「あれをやれ。出来るだろ」
と言われたら、
「「出来る」か「出来ない」かではなく、資源や労力のコストに見合わないので、「やれません」」
とちゃんと伝えよう。
ここは微妙だが大事な違いだ。このニュアンスをもっと早いうちに理解しておきたかったな…(まあ今日も頑張りましょう)

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