随筆(2020/9/10):勇気ではなく、欲望による、「やっていきましょう」の精神(上)やっていかない限り、それは外形的にはゼロ扱いされる
1.限られた準備しか出来なくて当然という「見切り発車」
何かやるじゃないですか。
そういう時に、「うまくやりたい」から、事前準備すること、あるじゃないですか。
それそのものはとても良い事なのです。
やる以上は、質は高けりゃ高いほどいい。
が、どうしても限界があります。
やってないと分からないことは、ある。
準備が十分に整わなくても、見切り発車でやるしかない。
準備は整えられるが、限界がある。
最初から、そのつもりで、優先的に準備すべきものだけ集めておく。
そういう基準での、準備の取捨選択は、見切り発車をやっていくうちに、避けられなくなるだろう。
2.そもそも適正な準備をするために、まずは徒手空拳でやる「偵察」(しばしば「威力偵察」にならざるを得ない)
というか、そもそも、どう準備をすればよいかは、あらかじめ状況が分かってないと、無駄になることの方が多い。
状況を見るために、一切の準備をせずに、まず現場を横切って、出来ればあまり巻き込まれないように身を隠して、どんなものか空気を掴んで、帰って準備する。
揉め事に巻き込まれたら、抗って逃げ切る。
スッと出てパッと見て、何としても見た観測情報を持って帰る。そういう素破(すっぱ)みたいな真似が出来ていなければならない。
そういう、「偵察」や「威力偵察」のプロセスをすっ飛ばして、ぶっつけ本番をやるという発想しかない。そのこと自体が、愚の骨頂だと言えるだろう。
これは本番ではないし、本腰を入れるべきタイミングでもない。
毎回正面衝突して、いつの日にか玉砕するの、美しいか? むしろ、みっともなくないか?
「偵察をしないで軍事作戦を行うことに、何のマズさも感じていない、だと? 貴様それでも軍人か?」
そんな風に、脳内水木しげる漫画軍人から、イマジナリー怒られとイマジナリービンタが発生することになります。
というか、ぶっつけ本番しか考えないでいいというの、ある意味かなり楽な、恵まれたシチュエーションなんですよね。
しばしば、そんなことはないのであって、ノープランで本番までやると、グチャグチャにミンチにされてしまいます。そんなの、容認出来るかってんだ。
だから、ある程度は、調査兵団の気持ちでやっていくことが、どうしても避けられなくなります。(もちろんそれはそれでグチャグチャになるんだけど)
余程のことがない限り、最初から決め打ちで偵察かました方が、「後で」ぶっつけ本番をやる時に、より効果的にアタックできる。
3.やっていかない限り、それは外形的にはゼロ扱いされる
かなり絶望的なことを言いますが、世俗世間のかなり多くの人は、
「やったかやらないかが、それが正の結果か負の結果かよりも重い」
価値観の人たちなんですよ。
動けないやつへの、生き物としての不信は、ヘマこくやつへの不信よりデカイんだ。
「ヘマこいたやつ」
は
「罰したくなる」
のだろうが、
「動けないやつ」
は
「生き物としての資格がないのに、自然の摂理に反して生きているから、あるべき姿、生きていない状態に、還してやりたい」。
要するにこういうことを、完全に無意識だが、断固として思ってしまっている。
聞き取り調査をされると、そういうのが表に出てしまう人、たくさんいるんです。
(ちなみに、私は広義の医療や福祉の職場の人間なので、こんなことを平気で仰有る方々について考えると、かなり厳しい姿勢にならざるを得ません)
***
非常に残念ながら、
「やるかやらないかは0か1かであり、やることが絶対条件である」
という人の価値観は、広く、ある。
これを、肯定も受容もしないまでも、処世として捌いていかねばならない。
4.たとえガチガチに準備しようが、初回である程度失敗するリスクは、どうしてもかなり高い。いずれにせよ、ボディで受けねばならない
おそろしく気が滅入ることを言いますが、たとえガチガチに準備しようが、初回である程度失敗するリスクは、どうしてもかなり高い。
偵察をしていない場合は特にそうだし、偵察しても、そのリスクを、下げることは出来ても、ゼロに出来るとは限らない。ここはやむを得ない。
いずれにせよ、その失敗によるダメージは、ボディで受けねばならない。という覚悟が必要になってくる。
もちろん、ダメージに耐えるのは、痛いですよ。
でも、後で成功したあかつきには、その害を、3倍から10倍くらいのノシをつけて、利で取り返すことになるでしょう。
だから、その日を祈って、耐えていればよいのだ。
(途中で故障したら、そうもいかないので、故障の気配を感じたら、さっさとしかるべき公の機関に訴え出た方がいい。
しばしば、訴訟をするまでもなく(重要)、当面生きて行けるだけの給付金が、もらえることもあったりする。
これは、再出発する前に、治療や回復をやる上で、途方もない安全と安心をもたらすことになるだろう)
5.実際にやった後で、やはり質は問われる。後でちゃんとやろう
実際にやった「後で」、やはり質は問われる。後でちゃんとやろう。
そこでなお、「うまくやれたかどうか」査定(アセスメント)しないし、「どうすればもっとうまくやれたか」反省もしないようでは、困る。
「まずやった」のは偉いが、その偉さ、「あんよが出来て偉いでちゅねー」ということと、何も変わらん。
歩けるのは分かった。次の段階をやらなきゃならない。
要は、出来るだけ転ばないようにしなければならない訳です。
当面は転ぶのは試行錯誤のうちだ。やむを得ない。
だが、いつかは転ばないようにしなきゃならん。
「転んでもよい」という開き直りが、いつか通用しなくなる日が来る。
あまり転ばないように、少しずつ持っていかねばならない。自覚的でなければならない。
転ばないで歩けるはずのやつが、あんよで甘んじているの、あちこちで頭ぶつけるので、生活の上で邪魔になって来るぞ。
人にぶつかったら、ふつうにボコられるまである。出来れば、あらかじめ、よほどのぶつかり方は、避けねばならない。
(続く)
(今回は上中下で終わる予定です)
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