随筆(2023/10/6):「自分と同じような人間だと認める」路線の有害な脆弱性
1.「対等であること」と「人間扱い」を直結する路線、ダメ
「相手を概ね同じステージの人間だと見なすことによって人間と見なす」
という路線、かなり広く採られています。
というか、何なら正当なものとして受け入れられているでしょう。
ですが、これには恐るべき罠があります。
「「概ね同じステージでない」と内心判断した場合、人間相手にやることではない扱いを自然に行う」
ということです。
これは無意識に行われるので、本人には気付かないし、何が問題なのかもわからないのですが、外形的には
「相手の言ってることをまともに取り合ってないな。つまりはまともな人間として扱ってないぞこりゃ」
という事態が頻発します。
2.「一人前と認めて任せる」路線、後輩を教導した時や子育ての時に、維持できなくなる場合がある
相手への尊敬を示す際に、
「一人前と認めて任せる」
という話がありますが、これも同じ罠が潜んでいます。
たいてい、これを言う人は、
「(自分とほぼ同程度の)一人前と認めて任せる」
という前提で言っているのです。
んで、これだと、後輩が失敗する度に、無意識のうちに
「「概ね同じステージでない」という内心の判断」
が積み重なっていくので、やはり無意識のうちに
「言動をまともに取り合わなくなる」
し、
「相手をまともな人間として扱わなくなる」。
対等であることと人間扱いを直結した時点で、引継や教育などおよそできなくなります。
自分よりダメでも、ちゃんと人間扱いしろよ。という話が、この姿勢には含まれていないからです。
本人は意識の上では対等であろうとしているかもしれませんが、実際には対等でない相手を無意識的に粗略に扱っていることに気付いてないだけです。
この欺瞞は、子育ての時には、もっと鋭く激しく不愉快な形で出て来ることでしょう。
これらは、そういう、世界残酷物語です。
3.対等でない相手であろうとも、人間扱いしなきゃダメ
自分の理解を超えて優れた人を特等人類扱いしつつ、
自分の理解を超えてダメな人を二等人類扱いしつつ、
その上で自分の理解可能な人を一人前扱いするの、
良く採られる路線ですが、これでは人間扱いは同じレベルの者同士でしか成立しない。
できてる人間扱いの範囲が狭すぎるので、アカン路線ですね。
相手が自分より優れていても、「何でもできるし押し付けられる万能の機能」でなく、ちゃんと「食って寝ないと壊れる人間」であるということを念頭に置いて欲しいんですよ。
そして、相手が自分よりダメそうに見えても、「その言動を基本的にはまともに取り合わなくて良い、人の形をした動物」ではなく、ちゃんと「話を遮らず最後までちゃんと聞くべき、意思疎通の対象となる人間」扱いをしてほしいんです。
対等とは限らない人間扱い、そういうことじゃないですか?
対等な人間扱いと、対等とは限らない人間扱い、三つともできるようにならないと、真の意味で人間扱いとは言えないんじゃないですか?
これは、ある日後頭部にハンマーの尖った部分が刺さっていて、後遺症で寝たきりになり、ある日親しい人に管を抜かれて愕然としたまま絶望の中で一生を終えるかどうかに直結する案件です。
できるようにしましょう。
(以上です)