随筆(2022/10/22):相手に聞き上手であることを期待する人が、相手がメモ魔であることで非難なんかするな
1.「チンタラとメモるな。ちゃんと聞けばそんなもん要らん」じゃあないんだよな
プログラマの時にびっくりしたのが、
「チンタラとメモるな。ちゃんと聞けばそんなもん要らん」
という先輩の存在だったのです。
今では「そんな姿勢で人に「指導」をするな。仕事を舐めているのか?」と率直に思います。
2.指導の目的は伝達であり、結果として相手方がある程度理解することが、全てに優先されると思いましょう。思えないなら指導なんか最初からしない方がいいですよ
2.1.指導の目的は伝達であり、結果として相手方がある程度理解することが、全てに優先されると思いましょう
そもそも、何か教える、ということをやるときに、最も大事な目的は何か。
「指導の目的は伝達であり、結果として相手方がある程度理解することが、全てに優先される」
これです。
2.2.「そうではなく真剣に聴く姿勢でないやつに真剣に聴く姿勢を持たせるためにある」という話が、しばしばいんちきである理由
2.2.1.「そうではなく真剣に聴く姿勢でないやつに真剣に聴く姿勢を持たせるためにある」という話
異論があるかもしれません。
「質問してきたのに一発で聞き取れない、質問して答えさせているという覚悟が足りない、ぼんやりしたやつに、
「業務上の理由であろうが何だろうが、相手にリソースを吐かせて、情報を要求するということは、当然に相手への負担を強いることであり、だから平然とやるべきことではない。
それをやる以上、必要最小限の手間で済むよう、訊く側は相手の喋っていることをちゃんと聴く姿勢でいろ。
聴く意思がないからメモで補うのが当然だと思っているのだろう。舐めているのか? そういう態度をまずやめろ」
という礼儀を身を以て知らしめているのだ」
結果的にはこういうことが言いたい(ここまで喋るのに、聞いている側にとって、かなり膨大な不愉快な会話を要する)人たち、かなりいます。
***
そうですか。
いろいろ大きな問題がありますね。
多分分かっていらっしゃらないと思いますが、そのうちのいくつかは、仕事をやるなら、だいぶ致命的ですよ。
2.2.2.本心からそう思って言語化できてますか?
まず、「結果的にはこういうことが言いたい(聞いている側にとって、かなり膨大な不愉快な会話を要する)」というところが、もうかなり最悪であると言えるでしょう。
私はこれを先輩の酒に付き合って、鬱陶しい自慢話と職場への不満の果てに、いい気になっている先輩から聞かされました。
プログラマだと、後輩を酒に付き合わせる人と、しない人がパッキリ分かれます(先輩は前者で、私は今でも後者です)。
しかも、やってる人は「これは部下に人間の業を叩き込むためだ」という、ある種の教育的姿勢でやっているのです。
そして、恐ろしいことに、自分に教育的資質があるかないかについて、本当にあるかないかとは関係なく、「ある」という一貫したバイアスがあるからやっている訳です。
経験の有無とは実は大半は独立のスキルとして、教育的資質があるかないか? もし自分にそんな資格がないのにそんなことをやっているとしたら? ということは考えてないようなのですね。
***
さて、
「「まず真面目に聴きなさい」というのは、初回の指導で冒頭の次くらいで明言できていなければならない」
という話をします。
というより、
「最初に明言できていない時点で、指導する姿勢は全く取れていない」
のだし、
「じゃあ指導者の顔で偉そうにするの、まあバカにもされよう」
という話をします。
***
どういうことか?
仕事の根本の話として、
「相手は、職場で何らかの有益な仕事をして、報酬をもらうために来ている」
訳です。
仕事の指導は、
「職場のためにも相手にとっても当然の動機として、相手は相手の知識や技能に基づく仕事上のトラブルを軽減するために、知っている人に訊く動機がある」
訳です。
そして、指導側は
「指導をすると、相手の作業の効率改善を通じて、職場のためになるし、それが自分の査定にもつながる」
からやる訳です。
これら三つを、認識も言語化もできてないなら、指導なんかやる意味がない。
何なら、目的に合致しないのだから、その指導で相手の作業効率を落として、職場の作業効率を落とすことすらある。もちろんこれではいけない。
挙句、それで自分の査定が上がらなかったら、というか、下がったら、
「コストを割いたのに何だ」
と腹を立てるのか?
コストを割いて損害を与えるな。
そんな指導、やめなさい。
それくらい大事な話です。
指導する際に、上の三つ、
「あなたは職場のために有益な仕事をして報酬を得るために来ている」
「あなたが分からなくて出来ないなら、分かるようにして作業効率を上げることにメリットがある。故にあなたは今から行う指導を理解して作業効率を上げるべきである」
「私はあなたと職場の作業効率改善のために指導せんとする」
が、この順番で最初に言えていて下さい。
「は? 全部言われれば当たり前の話であるが? なぜ改めていちいち言わねばならない?」
そうですか。
じゃあ相手に、ことあるごとに(こいつ分かってねえ)と不愉快に思う確率は、かなり高くなるでしょう。
仕事や指導の根本が、動機レベルで分かっているかどうか、できれば同じ意味合いで意識合わせができているか、本当に確認しましたか?
できていなければ話が合う可能性は極めて低くなるに決まってますし、それを避けるためにちゃんと明示せなならんのです。
自分でも言語化できていない、そのくらい理解できていないことを、相手には「説明しないで分かってて当然」という態度で迫るの、ホウレンソウカクニという意味ではどう考えても揉める元です。
こんなのは最初から回避できているようにしておいて下さい。
2.2.3.前提条件とはいえ、目的からすれば「二の次の」手段の話で、指導が完結しているのではありませんか?
もっと言うなら、指導する内容が分かっていても、指導するということが、動機レベルで分かっていないなら、指導なんかしない方がいいですよ。
さっきも言いましたが、それでやる指導、相手や職場の作業効率を向上させるかどうかは博打になるし、「別の動機が優先されている」場合、作業効率は二の次になってしまいます。
つまり?
その指導を以て、職場の作業効率に寄与する意図がない。ということです。
だから、即物的な成果がないのだから、碌な査定が期待できると思ってはいけない。
もしうかつにもそう思っているのだとしたら、だいぶおかしな考えをしている。
学校のように、人間性を育てるのが指導であるシチュエーションは、そんなにありません。
人間性より狭い要件として、しかしよりシビアに求められるのは「仕事をして貢献する」ことです。
そのための前提条件の「業務知識を真剣に聞く」等の話は、重要だが、所詮は手段としてしか要請されることのない話です。
目的ごと「これはこうで、これはこうで、これはこうです」と、三行(か多くても五行)程度に、口頭で(それで理解してもらえないならPowerPointスライドショーとかで)まとめておいて、最初にスパッと押さえておくべきことです。
いわば、「長いと忘れるから、最初にこれだけは覚えておけ」という話です。
逆に、これ以上長々と説明すべきところでもありません。脳から零れ落ちるから。
これを長々と説明することに血道をあげ、しかもそれを主たる目的として指導が完結するようでは困るのです。
こうした場合、指導としての価値は、残念ながらあくまで前準備に終始するのであり、
「仕事をして貢献できるように仕上げる」
ことに比べたら、どうしたって評価されなくなるのは避けられません。
それが不要とは口が裂けても言わないが、
「これだけで、仕上げるやつと同じくらいの名誉を以て迎えられるべきである。ならないのは査定側がおかしい」
という姿勢だとしたら、
「「即物的な貢献のあるものとないものを同列に並べろ」
というの、即物的な貢献を求めている層に、言うことか?
ずいぶんとノンビリと余裕のある話をしてるな」
という感想にはならざるを得ませんね。
2.2.4.不慣れな人にも分かるように、端的に表現できるようにしておくべきだ。まして、それを怠るための正当化として、新入りの理解力を不当に高く要求してはいけない
あと、もっと重要なこととして。
新入りは、ふつうは不案内で、右も左も分からないのです。
というか、新入りなんだから、不案内なの、かなり当たり前ですよね。
それが嫌だから経験者を雇用する?
それでもある程度は新入りであることは避けられない。
特に、職場の仕事のスムーズな作法というものは、どこにでもあるもので、しかもお外ではふつう通用しないものです。
座学の予習や仮想の訓練では、なかなか準備しきれるものでもない。
そんな不確かな状況で、あらかじめ学んでおく動機は、まずない。
***
そんな相手を前にして、
「こんなの言わなくても分かっていろよ。
一等人類ならこれくらい分かってて当たり前であってくれよ。
これが分かってないの、二等人類なのでは?」
という態度のエスパー気取りの偉い人、たくさんいます。
分かる訳ないでしょ。
都合の良い夢みたいなこと思ってんじゃねーぞ。
その場の業務知識やローカルルールを、お外の常識と区別出来ないやつが、意識合わせなんかできる訳がありませんね。
だって彼ら、確認を怠りたいからそんなふざけたことを言うのだから。
ホウレンソウカクニがそんなに嫌いか? よくそれでその地位にいるよな。
2.2.5.「理解できない相手の頭と性根が悪い」と思っちゃう人、指導ということをイージーに考えていないか。そんなんだったら指導なんか最初からしない方がいいですよ
メチャクチャ恐ろしいことに、上記を踏まえておらず、しかも
「相手の理解のためにちゃんと指導できていない」
し、挙句
「それは理解できない相手の頭と性根が悪い」
と思って、公言すらしてしまう人、います。
頭の良い相手にだけ指導したいのなら、予備校の講師になりましょう。
そしてそれをするのもかなり適性が要るので、ふつうの人はたぶんかなり高い就職倍率を突破できないと思います。
「一発で理解できない人を相手にしなければならない」
というのは、ごく当たり前の状況です。
「そんなのは困る、おかしい」
と文句を言うの、だいぶ
「世間が自分に都合が良くあってほしい」
的なニュアンスを帯びてしまうんですよね。
そういうのが嫌なら、指導なんか最初からしない方がいいですね。
指導の内容を知っていても、指導そのものはできないんだから。
そして、
「ああ、この社員は、熟練者かもしれないが、指導の能や熟練はないな」
と査定側に思われても、それは受け入れるしかありません。
だって、本当に、ないんだからなあ。
それも嫌なら、新入り相手に、ちゃんと骨子からブレない指導を心掛けながら、細かい手法は熟練していくしかない。ということではないでしょうか。
3.新入りがメモるのは、真剣味の足りなさの問題と考えるべきではない
3.1.「聞き上手かメモ魔かでかわいいかわいくないを見る」ことはどうだっていい
そういう観点からすれば、新入りがメモるのを、真剣味の足りなさの問題と考えるべきではない。
最終的に仕事ができて職場に貢献できて見合う報酬をもらえれば。
「一発で全部覚える」ほどの過度な集中力を発揮して聞き上手のムーブをしようが。
分からないなりにガリガリ全部メモに書いて後で読み返すというメモ魔のムーブをしようが。
最終的な出力は変わらないし、どちらでも目的は達成されている訳だ。
前者のみがかわいい、というの、なんかだいぶ変な価値観ですね。
指導者としては、
「最終的に目的が達成されるために寄与するやり方であるかどうか」
が大事なのであって、
「聞き上手かメモ魔かでかわいいかわいくないを見る」
のが、職場や仕事に寄与する訳ではありませんよね。
寄与しないところが評価基準なの、やめた方がいいですよ。
3.2.社内政治のかわいげを、チームワークや接客応対の協調性と混同するな。後者は業績に効くが、前者は業績にはさほど効かない
「協調性がない」?
それが問題になるのは、チームワークで協調性が必要な場合や、接客応対の場合ですね。
指導の際に必要なのは、「最終的に知識や技能を身に着けて仕事で貢献できるか」ですよね。
相手が指導をまともに聞かないなら、それはもちろん「最終的に知識や技能を身に着けて仕事で貢献できるか」に抵触します。
ですが、同じ業績を上げた上で、かわいげがある風に聞き上手をやっていたか、そうでないメモ魔をやっていたかは、業績の上がり方とは全く関係ないんですよね。
それは、「協調性」じゃなくて、「かわいげ」の話です。
そしてそれが業績に直結する度合いはふつうあまり高くない。
かわいげがあろうが業績が全然出ない人、ふつうにたくさんいる。
そのかわいげで、職場を追い出されない、という社内政治の話もあるのでしょう。
が、そんなことやってると、職場が成果物を作れなくなって、どんどん立ち枯れますよ。
成果のない部門や不採算部門の、閉鎖や統廃合、ふつうにあることです。
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だから、最終的な成果ではなく、相槌の有無で、相手の理解度を推し量るの、おかしな話なんですよ。
熱心にふんふんと聞いているが、テストの成績の悪い生徒に対し、黙ってノートを取っている生徒より高い成績判定を下すのを、直ちにやめましょう。
3.3.「最終的に目的が達成されるために寄与するやり方であるかどうか」が大事である。メモを取るのがそのための手段なら、指導側がこれをとやかく言うのはおかしい
仕事であれ何であれ、いかなる目的手段的な実践をするにせよ、
「最終的に目的が達成されるために寄与するやり方であるかどうか」
これが大事なのです。
メモを取るのがそのための手段なら、指導側がこれをとやかく言うのはおかしいのです。
聞き上手も、メモ魔も、効き目があるなら、どちらも大事な姿勢だと思いましょう。
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もちろん、聞き上手がメモ魔なら、かなり漏れが少なくなり、最高なんだよな。
だから、指導を受ける側は、両方同時にやれるよう心掛けてみてもよいですね。
(大変だとは思いますが、指導を受ける際に、情報の漏れが少なくなることの有難味は、途方もなく大きいはずです)
***
やっていきましょう。