随筆(2020/5/17):その人の「人間嫌い」は、「人間に興味がない」「人間以外が好き」だったりするのかも知れない
私はあんまり社交的なことに興味がないのですよ。
で、稀に
「あなたは人間が嫌いなのか」
と訊かれることがあります。
これにものすごくびっくりしてしまいまして。
「そう言えば俺は人間のことをどう思っているのか」
とちょっと考えると、
「俺が人間が嫌いなのではなく、単に好きじゃないだけというか、要するに興味がないんだ」
という話にたどり着いてしまった訳です。
というか、もっと率直に言うと、
「人間以外が好き」
「人間の前の事柄が好き」
「人間の後の事柄が好き」
「それらに比べた時に、人間そのものにさしたる魅力を感じない」
ということですね。何てやつだ。
***
昔から、スゴいデカい物体が好きで。
社会人になったら、スゴいデカい世の中の仕組みに適応していって。
何かというと、要するに、ちっちゃくて微妙で繊細な人間の機微に、あまり興味がなかったんですね。
未だに、そういうものに対して、上っ面の社交や処世のメカニズムとして以外に、学ぶ動機が、ないんですよ。
心の底から大事にされたという有難い感覚とか、心の底から他人が大事であるという熱病(フィーバー)のような感情とか、そういうの、ない。したこともされたこともない。
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で、まあ、それじゃあちっちゃくて微妙で繊細な対人関係は出来ないじゃないですか。
そう考えたら、そりゃあ婚活なんか出来んわ。
どんなに自分が人格を練ったりしても、処世のための言動がどんどん呼吸のようにやれるようになったとしても、要するに目の前の相手が「一人の人間」ではなく、「世間の一人」にしか見えてないんだから。
これ、パーソナルな対人関係をやりたいというつもりで来ているのなら、「モノ」扱いと同じくらいイヤですよ。誰が「世間」だ。私は「人間」だ。そう言いたくもならあな。
まずは、目の前の他人に、興味を、持て。
「興味がありません。だってつまんないんだもん」
だーかーらー。そういうところだぞ。
「は? つまんないのがダメなのでは?
私もつまんないやつ呼ばわりされてきたし、だから少しでも面白くなるように自分の言動をガリガリ書き換えて来たぞ。今でもつまんないやつだが、昔に比べたらはるかにマシだ。当然、これからも死ぬまで無限に書き換えるぞ。
そうしなきゃ、社交や処世はやっていけないようになってるんじゃないのか。こんなもん、いかな社交処世下手の俺ですら分かるぞ。
で、何ですか? 俺はつまんないからダメだが、他人はつまんなくてもいい?
むしろ、つまんないやつだ、と感じる俺の方がダメなんだ。みたいな話でもするつもりかな?
えー、それ、いくら何でもあまりにも盗人猛々しくない?
つまんないやつは、自分だろうが他人だろうが何だろうが、現につまんないです。
文句があるならお前も面白くなるんだよ。
他に何があると思ってんだ。他にあるなら、何で俺にこんなことをさせた? いい加減にしろよ。お前もやるんだよ」
いや、そもそもお前、人間に興味がないんじゃん。
そんなやつが言う面白さ、何?
それは絶対に人間扱いじゃないぞ。コンテンツ扱いだ。
そんなことが許容されるとでも思っているのか? どうなんだ?
「ははあ。つまりあれか。興味のない物事や人に、興味を持て? お前の物事や人への興味の持ち方は汚らわしい?
そういう風に、他人の感じ方の書き換えを、自発的に余儀なくさせようとするの、他人にとっちゃものすごくムカつくことですよ。だって、その人の意識にとって、非常に密接な、内心を書き換えさせるんだもんな。メチャクチャ迷惑ですよ。当たり前やないか。
だから、つまんないものはつまんないですし、その感じ方を他人にどうこう言われて、はいそうですか、とは簡単には書き換えられないんですよ。
俺がつまんないやつなのは、そこは最終的には俺が言動を書き換えればいい。とてつもなく面倒だが、やりゃあ出来る。というか、やってきた。
だが、内心を書き換えるのは、信じられないほど面倒だ。言うのは勝手だが、聞くかどうかはこっちの都合だ。基本的には聞く謂れはないんですよ。分かります?」
そうかよ。だったら好きにせえや。
だが、それじゃあ、人間とやっていくことは、究極的には不可能だ。上っ面だけで社交や処世をやって一生を終えていくつもりか? それは、とても、虚しいことですよ。
「上っ面だけで社交や処世をやって、ぶっ殺されてないことに意義がある。それで十二分に有難いが? いじめを受けていないということが、どんだけ有難いか。正直、この時点でお釣りが来るくらいですよ。
それ以上の有難み、ねえ。何か世の中にはあるらしいですねえ。見たことも聞いたこともないけど。
親はやってくれたけど、親以外の人にやってもらったことも、やったこともないんだよね。
仕事ではそりゃあ仕事だから、上っ面の社交や処世として、精一杯やったよ? でも、仕事以外だったら、ない、と言い切れる。
で、仕事以外の有難み、どんなもんなんですか。説明してごらんなさいな。今まで誰も説明出来なかっただろう。それで、信じろ、という方が無理なんじゃないんですかね。
というか、お前、俺に、説明出来てないくせに、何ドヤ顔こいてやがんだ。あーあしゃらくせえしゃらくせえ」
あーそうかよ。
事程左様に他人を敵扱いなり悪者扱いなりして、攻撃的な感情を抱いている人と、あえて付き合いたいという奇特な人、いる訳がないでしょうよ。
そりゃあ、人間の有難みなんか、誰も教えてくれる訳がないわ。
お前はこの有難みを知らずに、人間のちっちゃくて微妙で繊細なところを、一生理解出来ないままで終わる。
そういうの、知的好奇心お化けのお前にとって、悔しくないのかね。それで、本当にいいんだな?
「良くないっすよ?
でも、知的好奇心お化けである俺の興味は、今は人間じゃなくて、数学とかなんだよね。
興味ではなく、必要という話なら、上っ面の社交や処世以外、明らかに今必要じゃないもの。
それとも、一昔の人間らしいライフスタイルのために、今のうちに結婚して子供を社会に送り出せていないと、人間らしさを理解できないまま終わる、という話をしているのかね。
今、脳が温まっていて、人生最速モードで出来ている、数学等の大まかな理解を、二十数年程度バッサリ諦めろ? ギアがローに戻った状態まで手戻りしてもやむを得ない?
とにかく、今から二十数年、人間をやるべきだ?
ああそう。知的好奇心や世間体のためだけに婚活の相手をさせられる人、迷惑だよな。俺だって責任取れねえよ。
要するに、人生に後悔をしたくねえんだよ。まして、俺の人生の後悔に、他人を巻き込むの、ものすごいイヤですよ。他人に巻き込まれるのはもっとイヤなんですよね。
人生に後悔をしないためにいろいろやる。というのを、納得いかない程度の生半可で中途半端に終えるの、本当に願い下げだ。
多分残り時間の少ない余生を、解決するだけの時間のないまま、後悔と絶望と怨みつらみだけで過ごしていくことだろうぜ。
今やってることへの納得を捨ててまで、世間の言いなりになって、人間をやったら、納得がいかないまま、恨みつらみを抱えて人生が終わった。
俺の人生は俺のものではなくなった。しかも俺の人生を簒奪したやつらは責任を取らない。ただ俺が悪い。そういう話にさせられていく。
お前も敗北しろ。屈辱を抱えて死ね。それが人間の生き方なのだから。
結果的にはそういうことを言っている。
そういう一番おぞましいルートに、お前は俺をハメようとしている。
善意で? その善意、正気の沙汰か? いい加減にしろよな」
うっせーなーコイツ。何でこんなに恨みつらみの塊なんだろう。
じゃあもう何だっていいよ。数学の独学をやめろとも言わない。
客観的には、それで費やされる人生の残り時間、本当に心の底からもったいない。
だが、どうしてもやらなきゃ気が済まないんだろ。
だから、いいからさっさと数学の独学を終わらせろ。
そして、キッチリ人間をやれ。
逃げるんじゃねーぞ。分かってるんだろうな。
ただ、一つだけ言っとくぞ。
お前は今年で40歳になる。
婚活については、一気に伸びしろはなくなっていくと見るべきだ。
後でやろうとした時に、もう間に合わなくなる。
その時になって、やはり後悔だの絶望だの恨みつらみだの屈辱だの、寝ぼけたことを言い出すなよな。
そこは、甘んじて、後悔だの絶望だの恨みつらみだの屈辱だのに、黙って一人で身をよじれ。いいな。
さあ、今日も、やっていきましょう。
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