日記(2022/2/1)長い記事を終えたので久々に肩の力を抜いて近況を書く_1
1.しばらく軽量級の記事が続くと思います
この前まで書いていた記事が膨大に膨れ上がりすぎたので、しばらく軽量級の記事が続くと思います。
2.新型コロナウイルスオミクロン株第六波到来
それはそうと、ついに石川県にも新型コロナウイルスオミクロン株第六波が来てしまいました。
保健所はその応対に忙殺されています。
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増設工事が終わったにもかかわらず、電話がとにかく多いんで、しょっちゅうパンクするんですよ。
とにかく人手が足りないので、有難いことに人員も増えてますが、今度は施設の小ささに見合わなくなりつつあります。
あちらを立てればこちらが立たず。困ったなあ。
3.ワクチン三本目を接種しました
身の安全のために、特に広義の医療従事者は防疫上の安全が強く求められているので、ワクチン三本目を接種しました。
昨日の今日です。接種24時間後になったら、勤務中にダウンしてなきゃいいが…(そこは甘く見てはいない。2回目の後もだいぶ副作用がキツかった)
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はよ有効な飲み薬が認可されて普及して、社会生活に支障がないようにならんかなあ。
今の時点でのワクチンの副作用だと、実質次の日は風邪ひいたのと同じくらい体調が悪化するので(1~2日で抜けるけど)、ダウンせざるを得ないんですよね。
飲み薬の副作用がそれ以下なら多少は許すからさ。
それが出来るかどうかでかなり違うんだ。
4.官公庁が社会生活の制限を余儀なくさせていることの、公僕としての葛藤
ワクチンは数ヶ月に一本打つもので、予め備えるのにはいいが、即応性はない。
今、即応出来る手段がない。感染して、よくあることだが悪化したら、生活は破綻する。社会生活? ムリ。
つまり、即応出来る薬の選択肢があれば、即応出来るので、生活や社会生活はかなり改善される訳です。
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社会生活の制限も、相当緩和されるでしょう。
マスク着用や清浄の徹底やソーシャルディスタンスなどの社会生活の制限が感染拡大阻止に有効なのは分かり切っているのです。
が、社会生活の制限なんかしていたら、社会生活は超高速で破綻するんですよ。
それが緩和されるのなら、取れる(出来れば安全な)手段はとにかく増えるべきだ。
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ずーっと資本主義国家の地方自治体の官公庁の公僕をやってきた者たちとしては、社会生活の制限は、出来れば避けたいのです。
公僕がそう考えているとは、おそらく思われていないのでしょうが。「社会生活の制限をたくさんしたがっている」と思われているのではないでしょうか。
「そうである」場合と、「そうでない」場合があり、基本的には「そうでない」のです。
だって官公庁は皆様に食わせてもらって、コロナ対応業務等の皆様のための公務をさせてもらってるんだから(税金!)、社会生活の制限なんか、田んぼを分譲して売るようなタワケたことだからです。
正味の話、社会生活の制限で、「やらないと社会が死ぬ」と「やると社会が死ぬ」のせめぎ合いは常にある。
前者が大きい場合、これはやる。だってそれが、社会を活かすための公務だから。
これが、官公庁や公僕が「社会生活の制限をたくさんしたがっているように見える」ことの根本理由です。
「やらないと社会が死ぬ」と「やると社会が死ぬ」のせめぎ合いの話をすっ飛ばすと、結果として官公庁や公僕が「社会生活の制限をたくさんしたがっているように見える」部分しか見えなくなる。
とはいえ、後者が大きくなることが分かり切っているのに、こんなことをやりたくはないんですよ。
前者がそれよりはるかに大きいリスクを抱えているから、やらざるを得ないだけで。
やりたくない!
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当然、社会を活かす過程で、あおりを食う個人はたくさんいて、それをあらかじめ防いだり後で埋め合わせたりしなければならない。
というのが、20世紀後半~21世紀の官公庁における人権の最大の意義です。
これがないなら、公務員は広く社会のために仕事をする身なので、社会のために個人を際限なく犠牲にして、しかも
「これは要請されている公務だから、当然に正当であるが…これを批判する人、公務を何だと思っているのか…???」
とか言い出すようになります。
それでは現に新たに解決不能な問題が発生する。
むき出しの公務が個人を犠牲にするなら、むき出しの公務では個人は救済される訳がない。
だからこそ、その対策として、官公庁は公務の際に、人権を守らなきゃならないんですよ。
世界は公務で閉じた話じゃあないんだよな。
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(他にも近況はいろいろあったが、とっちらかるので今回はここまで)
(ただでさえとっちらかっているように見えるが…?)