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傘が嫌いなら、ささなければいい。

昔、娘が通っていた英語教室で、イースターのイベントがあった。公園で、散らばった卵のお菓子を探して集めるというゲームなど、レクリエーションの企画。

その日、天気があやしくて、あるのかないのか…?という感じだったが無事開催。しかし、終わりごろになって雨が降り出した。小雨が本降りになっていく。当時担当してもらっていた先生が傘を持っておらず、気になったので一緒に入りますか?と聞いたところ、

「あ、ダイジョウブです。僕、傘嫌いなんで」

???

えっ、傘って好き嫌いでさすものだっけ?と面食らいつつ、いつもそうなんですか?と聞いたら、昔からそうだ、と。むこう(故郷のアメリカ)では特別珍しくもないし、日本に来てからもそうしている、と、彼は髪から水を滴らせながらにこっと歯を見せて笑った。

カルチャーショックとはこのことか、と思った。アメリカではみんなそう、というわけではないとは思うが(なにせとてもひろい)、「傘が嫌いならささなければいい」「雨が降ったら濡れればいい」という発想自体が私には初めてだったので、ほんとうに驚いた。

そして今別の英語教室(個人の)に通っているのだが、先週、「もう少しゆっくりと自分の自由な時間がほしくなったので、申し訳ないけれど教室は年内でおしまいにしようと思います」と言われた。

そんなに若い先生ではないからわかるっちゃわかるし、知り合いの知り合いなのでそういう言い方になったのかもしれないし、そもそも本当の理由かどうかもわからない。

でも「自分の自由な時間を大事にしたいから」と率直に言えるのがなんかいいな、と思った。それを大切にしている人生と、大切にすることが当然だという意識。

二人とも、自分の気持ちに正直に行動しているという印象がある。とても。あとあまり人の目を気にしていない感じ。それの良い悪いは別として、私は彼らが好きだし、そういう人の前だとこちらも力が抜けるというか、構えないでいられるというか。

私はどうしても「ちゃんとできる人ふうに擬態する」が日常になってしまっていて、むしろ仮面をつけてモードを切り替えないと社会生活に入っていかれないから仕方ないところもあるのだが、まあ疲れる。

対する人の数だけ顔があるのは当然で、どれが本当の自分?なんてものはなくそのたくさんがすべて自分だと、わかっていはいる。作っているのも含めて。

・・・難しい。でも今書いていて、「こういう人いいな、好きだな」と改めて思って、わたしもそういう風になれたら良いな、と自然に思った。簡単にはなれないだろうけど、なんとなくのぼんやりとした憧れとしてピンに止めておくだけでも違う気がするのでそうする。

留めておきたいことを書きたいんだな私、と気づく。浮世なんてしゃらくせぇ風情で生きているけど、留めておきたいこともちゃんとあるんだな。これもたくさんの私のうちの一人として、忘れずに椅子をあげようと思う。

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