だったのに。
一年前に浅草近くで買ったダウンが、しぼんでいく様を見ている。浅草は良いところだと、一年後に言っている。
言っている。トーキョーは言っている。しかし誰も、なにを言っているのか、聴こえづらくて、滑舌悪くて、わからない。それは、理解しようという気持ちも、蓋をしてしまおうという思いも、一緒くたになって、とりあえず、わからない、と言ってみる。
歌舞伎町は光っている。ニホンじゃない街に、トーキョーと名付けたニホン人を、トーキョー人と名付けたあの人。
精子と卵子しかないこの世に、じゃああの世に何があるのか、トーキョーは知らないし、知る気もないくせに、なんでも受け入れて、そして吐き出していく。
しぼんだダウンに、酒のにおいがこびりつき、しけもくの焦げたにおいが張り付いて、そうしてさらにしぼんでいく。浅草は、トーキョーかしら。誰に聞いても東京だと、一辺倒の答えが返ってくる。
それじゃあわたしはわたしですか、あなたはあなたですか、トーキョーは東京ですか、トーキョー人はニホン人ですかそれとも日本人ですか。そんな問題も、精子も卵子も、なにも混ざり合うことがないのなら、しぼんだダウンと、わたしはしぼみ、しぼみ合い、最終的に死んでやる。
生きている人間にしか恋が出来ないのなら、トーキョーの恋は恋ですか、という設問に、誰が答えられるだろう。一年後に買ったスニーカーにキスしたあの人に、トーキョーはトーキョーだったのに。
もうちょっと頑張れよ、とか しょうがねえ応援してやる、とか どれもこれも励みになります、がんばるぞー。