【なぜSNSを見ず、できるだけ他人と関わらないようにしているのか】自分の問題と、世界や他人の問題とを切り分ける
年末年始は実家に帰って、3分だけニュースを見た。
3分見ただけで、これでもかっていうくらい、悪いニュースがてんこ盛りだった。
テレビの中では、たった3分で182人が亡くなった。
テレビの前にいる私は、ただ悲しい気持ちになって、
ただそれだけだった。
誰かの悲しみは宙に浮いたままで、
遠いところで、同じように私の悲しみも宙に浮いた。
数分後には、お笑い芸人が、一発芸を披露していた。
私は悲しい気持ちでいたほうが良いのか、
それとも笑った方が良いのか、わからなかった。
世の中の人たちは、笑ったり泣いたり忙しそうだ。
私は、誰にも、何にも振り回されたくなかった。
私にとって大事なのは、自分の身の回りの人たちの安全だけだ。家族や、仕事仲間、友人、恋人の幸せだけだ。自分の安全はどうでもいい。死んだら死んだことを考えることすらできないのだから。。。
私は、どこか遠い国の人たちの安否や、国の問題を考えられるほど、余裕のある人間ではない。白菜はどこのスーパーが安いかとか、化粧水がもう終わりそうだからそろそろ替えは必要かとか、そんなちっぽけな問題を考えて平凡に一日が終わるような、そんな平凡な人間で、『アルマゲドン』で地球を救うメンバーに選ばれるような人間じゃない。
自分の問題や、自分の大切な人たちの問題で精一杯だから、ニュースとか、SNSとかは見ないようにしている。
それに、あんまり人脈も広げないようにしている。
SNSには、吐き気がするほど山積みの問題が溢れている。
芸能人のことから、一般人のことまで、
誰もがバズろう、ストレスを発散してやろうと、
世の中のあらゆる問題を掘り起こしている。
仕事のためにSNSを使うことはあるけれど、
プライベートでは一切SNSを見ない。
ネットニュースも、テレビのニュースも見ない。
「それで困らない?」と言われることがあるけれど、困ったことはないし、困るような仕事もしていない。
もしも私が政治家だったら、韓国の大統領の現状がどうとか、ロシアとウクライナの戦況といったことに疎いことは大問題だけど、今の自分の生活にはほとんど関係ないし、関係があったとしてもどうすることもできない。
ましてや、芸能人の誰が不倫したとか、
謹慎することになったとか、正直どうでもよすぎる。
どうでもいいのは、世界や芸能人の問題だけじゃなくて、日常的に接する人たちの問題も同じだ。どこかの誰かがヤングケアラーだとか、明日にでも死にたいとか、、、
誰かにとっての問題は、誰かにとっての問題で、
仮に仲良くなったからといって、自分の問題になるわけではない。
世の中の人たちは、本当は抱えなくても良い問題に首を突っ込みすぎだと思う。
以前、人の付き添いで精神科に行ったことがある。
待合室で待っていたら急に吐き気を催して、すぐに外に出た。
私は、精神科に行って初めて、「空気が重い」という言葉の意味を知った。そこは本当に空気が重かった。人間が抱える問題の掃き溜めのような場所だからだ。
精神科医の中には、心の病んだ患者と接しているうちに、自らの心も病んでしまう人たちもいるらしい。
気づかないうちに、心や思考は自分の目の前にあるものに影響を受けていく。
若い人達の中には時々、「日本は終わり」と信じ込んでいる人たちがいるけれど、そういう人たちはたいていの場合、日本が終わっているかのような情報ばかりを流すメディアの情報に染まりすぎている。
テレビやネットのニュースを見ていると、この国はスラム街みたいにたくさんの人が死ぬ国のような錯覚を起こす。
SNSを見ていると、ちょっとした失敗が人生を狂わせるような錯覚を起こす。
でも実際にはそうじゃない。
実際にはそうじゃないのに、テレビやスマホの中の世界に入り込んでしまうと、この世の中が絶望的にたくさんの問題を抱えた世界かのように見えてしまう。
実際にはそうじゃない。私やあなたにとって大事なことは、世界のどこかで餓死している人がいるということの方よりも、今日の夕飯のメニューを考えることの方だ。
世界や誰かの問題に無関心になることがベストだと思っているわけではない。ただ、世界や誰かの問題と、自分の問題とを切り離すことが大事だと私は考えている。
誰か他の人たちが頭を悩ますべき問題について、無力な第三者が時間を使うのは得策じゃない。世界や国の問題を解決するのは政治家だ。そのために、国民は税金を納めている。それを差し置いて、貴重な休日を「戦争反対」なんて叫びながら街中を歩く必要なんてない。
私は自分自身の問題だけに対処する。世界で起きていること、ネット上で騒がれていることを目にしない、耳に入れない。不必要に他人と関わって、悩み相談なんて絶対に受けないようにしている。
そうやって少しでも穏やかに暮らそうと努めている。