坪口昌恭著『神曲のツボ!「カッコいい」の構造分析』発売記念トーク・イヴェント・レポート
坪口昌恭著『神曲のツボ!「カッコいい」の構造分析』発売記念トーク・イヴェント・レポート
Text:細田成嗣
10月4日(火)、東京・下北沢の本屋B&Bで、ジャズ・ピアニスト/シンセサイザー奏者の坪口昌恭による初の単著『神曲のツボ! 「カッコいい」の構造分析』(アルテスパブリッシング、2022年)の刊行記念イヴェントが開催された。
同書は10年にわたる『intoxicate』誌での人気連載を中心に書籍化した一冊。往年のジャズから21世紀のジャズ、R&Bやファンク、さらにJ-POPから民族音楽まで、ジャンル横断的に様々な楽曲を取り上げ、まさに〈カッコよさ〉の秘訣を解き明かすように、軽快な筆致で楽曲分析を綴っている。楽器経験者はもちろん、音楽理論にあまり馴染みがないというリスナーにとっても〈なるほど!〉と膝を打つ内容に仕上がっており、著者の言葉を借りるなら「スポーツ実況解説のような音楽分析」のアンソロジーだ。菊地成孔と大谷能生の『憂鬱と官能を教えた学校』(河出書房新社、2004年)以降人口に膾炙した「ポップ・アナリーゼ」の現在地を示す書籍とも言える。
そのような『神曲のツボ!』の刊行記念イヴェントでは、著者の坪口のほか、ゲストとして音楽家/音楽プロデューサーの冨田ラボ(冨田恵一)を迎え、対談形式のトークを実施した。
話題はまず、書籍の概要や坪口と冨田の関係からスタート。実は坪口が『intoxicate』誌で連載を始めた当初、隣のページでは冨田が連載を担当していた。「横に本気の理論の人が来た」と身構えた記憶が今でも残っているという冨田は、しかし実際に坪口の連載を読んでみると「楽譜を挟んでも面白く書ける人がいるんだな」と思ったそうで、「授業で理論を教わっているんじゃなくて、先輩に部室で理論のツボを教えてもらっているような感じで読んでいたんですよ。だから、いわゆる勉強嫌いな生徒でも頭に入ってくるんじゃないかな」と回想。
一方、坪口は冨田の著書『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』(DU BOOKS、2014年)に触れながら「録音物を重視することが共通しているなと思いました。実は冨田さんの本を読む前に〈はじめに〉を書いたんですが、同じようなことを言っていて」と明かすと、冨田も「坪口さんはジャズ・ミュージシャンでフリー・インプロのライヴもたくさんやられている方だから、演奏することにこそ価値を置いているイメージがあって、録音作品の価値をこれほど重要視しているのは意外でした」「(とはいえ)書籍を読み進めていくと、やっぱり、録音物で反芻できるからこそ分析できることもある」と応じた。
続いて坪口によるキーボードの実演を交えて、『神曲のツボ!』に収録された楽曲を含む計6曲の解説を披露した。1曲目はホセ・ジェイムズ“セイヴ・ユア・ラヴ・フォー・ミー”(『ブラックマジック』2010年)。ユージーン・B・マクダニエルスの名曲“フィール・ライク・メイキン・ラヴ”との類似点を指摘しつつ、坪口はコードを演奏しながら「ここですね。ドミナント・セブンスがメジャー・セブンスになっているんですよ」「これをロバート・グラスパーも使うし、2010年代以降のジャズ/ヒップホップに見られる」とポイントをわかりやすく紹介し、冨田は「今では決して馴染みがない進行だとは思わないですけど、コードだけ取り出して比べるとやっぱり違いますね」と語った。
2曲目は平井堅作詞・作曲の楽曲を冨田がアレンジしたJUJU“even if”(『俺のRequest』2020年)。原曲から大きく変化した大胆なアレンジについて、冨田は「メロディだけ取り出して、好きにコードをつけたんです。だから作曲と同じ感覚」と説明すると、歌詞の言葉が持つムードや、先程のホセと同様な音使いに着目した坪口の分析について「さすが、見抜かれてるなあと思いました。こういうのは作っているときに密かに自分でニヤニヤするものだと思っていたんですけど、坪口さんが大っぴらに指摘してくれたので、すごい嬉しかった(笑)」と照れ笑いを浮かべた。
3曲目はエバーハルト・ウェーバー“Maurizius”(『Later That Evening』1982年)。坪口はアルバムについて「2曲目以降はフリー・インプロの要素が多いんですけど、1曲目にこの美しい楽曲があるので、アルバム全体の印象が引き締まる。色合いがフワッと見えるんですよね」と解説すると、ライル・メイズが弾いているピアノのアルペジオは、ヴォイシング(構成音の配置の仕方)を工夫した作曲になっており、クラシカルな雰囲気を出していると説明。「さっき試しに弾いた(通常のヴォイシングの)コードよりも味わいが出てくる。モーツァルトのような響きになりますよね」と語った。
4曲目はジェームス・ブラウン“アイ・ガット・ザ・フィーリン”(『アイ・ガット・ザ・フィーリン』1968年)。「普通に聴いているとリズムがズレるんですよ」と切り出した坪口は、「ファンクだとずっと4拍子だと思いがちだけど、実は8分の7拍子が入っている」と指摘。これを受けて冨田は「僕は最初、演奏がヨレて16分音符が1個なくなったのかと思っていた」と明かしつつ、ランディとマイケルのブレッカー兄弟による楽曲(作曲はランディ)“サム・スカンク・ファンク”(1975年)のブレイク部分を引き合いに出して「彼ら(ブレッカー兄弟)は明らかに譜面上で音符を1個足りなくしていますけど、もしかしたらそういう〈ファンクの伝統〉から来ているんじゃないかと、坪口さんの本を読んで思いました」と推察した。
さらにトークは単行本未収録の楽曲解説へ。5曲目はビョーク“ヒューマン・ビヘイヴィアー”(『デビュー』1993年)。ブルースなどに見られるように通常はメジャーのコードやベースにマイナーのメロディを乗せることが多いが、この楽曲では「下がマイナー、上がメジャーになっていて、その時点で〈おや?〉って思うんです」と坪口。続けて「しかもビョークはここから歌い始めるんですよ」と、エオリアン・スケール(自然短音階)のメロディが登場することを分析し、「北欧のジャズではこうしたエオリアンの音使いがよく聴かれる」と語った。すると冨田は「歌い出しのFの音は尋常じゃないと思いました。音符的には半音のズレなんですが、絶大な効果を引き起こしている」と指摘し、「最初に聴いたとき、全く別のトラックを聴きながら歌を録音して、そこに違うキーのトラックをつけたんじゃないかと思ったんですよ。そのぐらい違和感があるのにカッコいいという衝撃」と明かした。
6曲目はハービー・ハンコック“サコタッシュ”(『インヴェンションズ&ディメンションズ』1963年)。「ここまでアフロなアンサンブルを行なっているジャズ作品はあまりない」と評した坪口は、3拍子と2拍3連の交差について〈キリマンジャロ〉というワードを例に説明。「語感からは〈キリ・マン・ジャロ〉と3拍子のアクセントが感じられますが、スワヒリ語の〈キリマ=山〉〈ンジャロ=輝く〉という意味を踏まえると、〈キリマ・ンジャロ〉の2拍3連になる」と解説し、来場客も交えて手拍子や足踏みでクロス・リズムを実演した。
計6曲の楽曲解説を終えると、来場客からの質問や感想を受け付けつつ、話題は坪口と冨田それぞれが歩んできた音楽活動を振り返るエピソード・トークへ。中学・高校時代にバンドを組んだ話や、自宅で多重録音をして遊んでいた話など、同世代でもある2人ならではの思い出話に花が咲いた。
そうした中、大学時代にジャズ/フュージョンやAORが好きだったという冨田は、卒業後の80年代後半にサポートでギターを弾く仕事を始めたものの、「その頃の日本のポップスはジャズ/フュージョンやAORとは無縁の世界でした。どちらかというとニュー・ウェイヴやブリティッシュ・ポップの音が主流で」と回想。坪口も「それは感じていました」と同意し「87年頃に東京に出てきて、いかにジャズ/フュージョンを拭い去るかという人生が始まった気がする。ニュー・ウェイヴやワールド・ミュージックのブームが来ていたから」と振り返った。
これに対し「だけどやっぱり90年代以降、ヒップホップで過去の音楽が参照されるようになっていく。そこからジャズ/フュージョンやAORの好みを活かしていけるようになっていきました。ちょうど僕がアレンジやプロデュースを始める頃なんです」と冨田が続けると、坪口は「僕の中でジャズ/フュージョンを解禁していいんだとなったのは、ジャミロクワイの登場とドナルド・フェイゲンの『カマキリアド』(1993年)でした。ナインス・コードが復活してきて、〈好きだったらやりゃいいじゃん〉と思った」と打ち明けた。
その後、冨田が「坪口さんウェザー・リポートがお好きだと思うんですけど、ファースト・アルバムから好きですか?」と質問を投げかけると、坪口は「実は多重録音作品の『ミスター・ゴーン』(1978年)が一番好きなんです」と告白。冨田は思わず「本当ですか! 僕も『ミスター・ゴーン』は好きです。世間的には失敗作と言われていますが」と共感した。坪口によれば『ミスター・ゴーン』は「なんでこうなっているのか分析するのが難しい」アルバムだそうで、一方で『神曲のツボ!』は「ちょっと変わってる、普通ではないことが起こっている、ということがビビッとアンテナに引っかかる楽曲ばかり取り上げていて、いわば〈珍曲のツボ〉です。つまり〈ここが普通ではない〉というふうに説明しやすい」とのこと。これに冨田も「『普通はこうだ』と提示できる方が違いがわかりやすいじゃないですか。けれど『ミスター・ゴーン』の普通は何かと言われても、わからない(笑)」と付け加えた。
最後に坪口は「死ぬまでに渾身のフル・カヴァー・アルバムを作るとしたら『ミスター・ゴーン』ですね。ジャケットの雰囲気も含めて。それぐらい大事な作品なんです」と今後の目標も掲げていた。
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