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死後に悪い夢を見ないように【聖職者の仕事】
西洋の伝記とか小説とかを読んでると、よく登場人物の死に際に牧師が呼ばれますよね。
あれどう思いますか?
僕は「ふーん向こうではそういう儀式があるんだ」くらいの感想でした。
でも最近になって見る目が変わったんですよね。
あれには現実的(といっても霊的なレベルでの現実性ですが)な効能があるんじゃないかと思えてきたのです。
きっかけはニール・ウォルシュの『神へ帰る』を読んだこと。
この本のなかで神は「人は死んだあと、死後の世界としてイメージしていたものをまず体験する」と語っています。
イエスに会えると信じていたなら本当にイエスが出てくる。仏陀に会えると信じていたなら本当に仏陀が出てくる。
「自分は罰せられるべき人間で地獄行きだ」と信じていたなら本当に地獄に行く(著者のニール・ウォルシュは過去の死後に何度か自分の創造した地獄へ行ったらしい)。
先日バシャールの本を読んでいたら、こっちにも同じことが書いてありました。
地球という環境では願望とその実現のあいだには大きなラグがある(引き寄せの法則)。
しかし肉体を脱して「あの世」へ行くと、そこは異なる法則が支配する世界。望んだことが瞬時に現実化していまいます。
だから死後に人間が最初に経験するのは、その人が生前抱いていた「死後の世界」のイメージの現実化なのだと。
エベン・アレグザンダー医師の『プルーフ・オブ・ヘヴン』という有名な本があります。
自身の臨死体験を記録したこの本で彼は、死後に真っ暗な闇に閉ざされたと語っています。これはおそらく、彼が生粋の唯物論者だったからではないでしょうか?
死後の世界を「無」とか「何もない暗黒」みたいにイメージしていたから、それが具現化されたわけです(ただしネガティブな苦しみとかは感じなかったようなので、唯物論者は安心してください)。
いつまでここにいるんだと焦り始めた段階で、光のオーブ(守護霊的な存在)が現れ、それに導かれて牧歌的な世界(いわゆる本当のあの世か)の上空を移動し、神との対話に入ったことが記録されています。
話はもとに戻るんですが、こうしてみると人の臨終に立ち会う牧師が果たしている機能が明らかになってきますよね。
つまり死後に悪い夢をみないようにガイドしているわけです。
「自分は悪い人間だ」とか「罰せられて当然だ」とか「地獄行きだ」とかを強く信じていると、向こう側にある強固な引き寄せ法則が発動したさい、本当に地獄を体験することになってしまいます。
だから牧師は「あなたは許されている」などのメッセージを与えることで、あの世へ旅立つ者からネガティブな思い込みを払拭させ、死後の世界で続いていく学びの旅路がよりスムーズになるようにサポートする。
おそらく西洋の牧師の多くはこんなメカニズムを知らなかったと思うし、信じてもいなかったとは思います。でもこの仕組みが本当にあるのなら(たぶんある)、牧師たちは大きな役割を果たしてきたといえますよね。
そして思ったんですが、仏教の僧侶もこれを取り入れるのはありなんじゃないか。
日本の仏教はよく「葬式仏教」と揶揄されますが、人の死に際に立ち会うことを仕事にしたら社会的な評価も上がる気がする。孤独死といった社会問題の緩和にもつながりそうですし。
そしてより高い霊的次元を含めてみれば、死者が悪い夢を見たりしないようにガイドするという強烈な役割をも果たすことになります。
このような方向性への変化は、相当ポジティブなインパクトがあるんじゃないかと思えるんですよね。