見出し画像

なぜスピ系や哲学で不健康になるのか 高橋巌『神秘学講義』

著者はルドルフ・シュタイナーの研究で有名な人。ちくま学芸文庫から出ているシュタイナーの主要書はぜんぶこの人が訳しています。

本書はシュタイナー的な神秘学について講演のような文章で語ったもの。

簡単ではありませんが、シュタイナーのやたら哲学的な文章にくらべれば圧倒的にわかりやすい。

シュタイナーだけを解説した本というわけではなく、ゲーテやユングなど対象は多岐にわたります。

もっとも興味深く有益だったのは、神秘学のマイナス面とその打ち消し方を解説したパート。

神秘学的な方向を突き詰めると、マイナス効果が発生しうると著者はいいます。疲れやすくなったり、無気力になったり、社会生活と同期できなくなったり。

これは神秘学的な向上に使われるエネルギーと、身体や精神の休息に使われるエネルギーが、同種のものであるために引き起こされます。

それまでは休息に使われていたエネルギーが、精神的なレベルアップの方向に流れていくことで、調子が狂うんですね。

この弊害は霊学やオカルト、スピリチュアルといったいかにもなものだけに限らず、哲学や数学のような、高度に抽象的な精神活動によっても生じるようです。これは身に覚えのある人が多いと思う。

瞑想に取り組むことで逆に調子が悪くなる人がいますが、それもこの例に当てはまります(よくいえば才能がある証拠なのですが)

瞑想がいきなり上手くいくのは、心身がハツラツとしたビジネスマンやスポーツマンのような人たちなんですよね。

逆に最初からいかにも瞑想的な人間は、不用意に瞑想をすると精神的な能力が覚醒しすぎて、日常生活に使われるはずだったエネルギーがぜんぶそっちにもっていかれることがよくあります。しかも元々それほど心身が強くないことが多いから大変です。


ではどうやったらこのマイナス面を打ち消せるのか?

神秘学的なあるいは哲学や数学といった抽象的な思索を生活から排除する、という手も考えられますが、精神的な傾向が強い人間がそれをやると、それはそれで具合が悪くなると思います。

内面が空虚になって精神の栄養失調みたいな状態になるんですよね。だから精神性と現実性のバランスを取ることが必要になってきます。

じゃあどうやってそれを達成するかというと、運動をしたり食生活を改善したりというのが超重要なんですが、本書で言及されるのはむしろ芸術体験です。

行きすぎた精神性、抽象的な思考をバランスさせるには、感性的な要素が重要になってくるわけですが、それを豊富にもたらしてくれるのが芸術というわけです。

しかも芸術は、通常の社会生活のように精神を摩耗させる作用はありません。むしろ精神的な高揚をも与えつつ、さらに感性的栄養を豊富に与えてくれるという、まさに精神的人間の治癒のためにある存在が芸術といえます。

こうして神秘学のなかには、美的判断が重要なパートとして組み込まれているというんですね。

風景をじっくり観察してそれを絵に描くみたいな活動は非常に効果が高いと思う。音楽を聴いたり演奏したり、工芸品を作ったりすることも。

そう考えてみると、芸術を重視した善導や空海(密教)のような伝統的仏教のありかたも、だいぶ見え方が変わってくる気がしますね。仏教の作動をより健全かつ強固にするための知恵のような側面も、そこにはあったのかも。

こういう観点で芸術が解説されているのは初めて読んだので、かなりインパクトありました。


・ユングは思考と感情を対比させ、また直観と感覚を対比させた。

ユングはけっこう本格的に霊能者だったようです。そういえばエリザベス・キューブラー・ロスも晩年には守護霊が見えるようになっていました。

・12世紀のキリスト教神秘主義者ヨアキム・デ・フィオレによる意識の発達史。父の時代→子の時代→聖霊の時代。ヨアキムの思想はヘーゲルにも影響を及ぼしている。

・神秘学の根底には3️分説がある。2分説は神秘学の否定に行き着く。

・霊と魂と身体の3分説。霊と魂を区別することが重要。

・今の自分を反省してみただけでは自分を知ることはできない。自分がどこから来てどこへゆくのかという視点が必要。

・神秘学には古代から目的論的な進化論がある。霊界からの作用が身体を進化させる。ある程度の段階まで進化したら人間の霊はそこに搭乗できる。

・古代の人間は現実の認識が不明瞭だったかわりに、あの世の認識がまだ残っていた。だから死への恐怖もなかった。

宗教の発生を死への恐怖に見出そうとする人がいますが、それは近代の常識を古代へと投影した錯覚ですね。ちょうどホッブズやルソーの自然状態論が、近代個人主義を古代へ投影したものでしかないのと同じです。


いいなと思ったら応援しよう!