<前世、そして未来の記憶~堀江敏幸>
ここを閉じるという話は、どこにも出さなかった。お知らせを出せば、学生時代に仲間と世話になったとか、会社の余興でよく使わせてもらったとか、なんやかや、ありがたい理由をつけて別れの催しを開こうと音頭をとる人が出てこないともかぎらない。開業時にはチラシを刷ってそれなりの宣伝をしたのだから、今回おなじようなかたちで最後の客寄せをするべきなのかもしれないのだが、彼は静かに幕を引きたかった。黙ってすべてを整理し、落ち着いてから失礼のない挨拶をしたいと、 そう思っていた。~堀江敏幸「スタンスドット(雪沼とその周辺)」
イタリアの情景を言葉だけで綴り、前世の記憶を呼び覚ますのが須賀敦子だとしたら、堀江敏幸の文章は、これから起こる人生を予感させる。スタンス・ドットでボウリング場を閉店させる老年のオーナーに共通点は何もないのだが、静かに幕引きをしたいオーナーは、未来の私だと感じる。
そのような文章からは匂いがしてくる。須賀敦子の文章にも匂いがあるが、それは情景から蘇る懐かしい匂いだ。堀江敏幸の未来を予言させる文章からは嗅いだことのない、ケミカルだけど化学物質ではない不思議な匂いがする。須賀敦子で感じたような肌感覚はない。
体験していない未来のことは、身体に記憶がないのだろう。だけれども匂いはする。
魂は過去を記憶している。そして未来を見通す力がある。未来はもしかして匂いが導くのかもしれない。ケミカルで不思議な匂いには色がない。無色透明な未来は、何色にもそまっていない可能性がありながら、ずっと前から魂は行く方向を決めている。
堀江敏幸の本は、とても優しく静かだ。彼の本から匂い立つ未来の匂いを嗅ぐたびに、未来のわたしを行間にみつける。いつか一人になって優しく静かに、ひっそりと暮らしたい。それは魂の願いだと感じる。
★★★
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