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記憶

ある夏の日

少年は昆虫採取していた

心紛らわさず眺めていた 

少年の目は不思議だった

昆虫を眺めている様で

自分の心を眺めていた


その目はじっと

内側を見つめていた

心逸らさず

眺めていた


大人になるにつれて、外側を向いていく心

『在る』ことの中で起こってくる出来事に徐々に魅了されていった。

少年は失いつつある『在る』そのものに憧憬の念を時折抱いていた

何かとても大切な事が忘れていってしまう感覚に恐怖していた


誰にもこのことは聞けなかったし聞くことはできないと直観していた

存在の不思議について

どんな大人も子供も教師も偉い人も科学者も哲学者も僧侶も隠者も芸術家も聖者も

信じられはしなかった

明確な回答を持ち得た人などいようはずはないのだ

本にも現実の人も誰も参考にすべき人はいなかった

そもそも内側で鳴る声をどうやっても言葉にすることなどできようもなかった

だから

ただ神様に聴くしかなかった

ー神様などいるはずないと知りつつも。そんな冷静な頭を無視して、見えないものに語りかける

その瞬間少年は巫覡となるのだ

光の中にいる天使が媒介者となってそっと話しかけてくれるのだ

その秘密を




いつもの様に空ばかり眺めていた

雲の変化していく様子を眺めるのが好きだった

そんな時だけ

たった一人孤独を楽しんでいられた

世界の親密さを味わう事ができた

争いに満ちた日常の喧騒から解放されていた

家庭の学校の社会の狂った様な悲惨さから


僕はその瞬間救われていた

この世の一切の言語の支配から逃れ

この世ならぬ透明な美しさに感じいる事ができた

その美は、人間が誰もが口にする〈私〉といい得る力を

ーくだらなくも美しいその呼び名をー、

ことごとく滅ぼしてくれた


僕の本当の名前を


味わう事ができる瞬間だった


掛け替えのない時



静寂を破ったのは


午後五時の鐘


そしてそれと共に響いてくる


音も無く流れてくる苦悩の音楽


哀しみの




どうして世界はこんなに悲しく輝くのかな


不思議だった


認識される音、振動、もの、こと、全てが

悲しく、傷ついていて、やるせなくて


どうして何もかもがそんな感じで決まっていくの


酷く惨めな事が当たり前の様に執行されて

その喩え用の無く悲しい理不尽さ

そうやって進む


憤りを超えた悲しさ


非常に辛く悲しい音楽が鳴っている


残酷で透明な悲しい音楽


全くの無力が僕を支配する



ただ歩いているだけで、意味もなく、残忍な暴力に晒される

僕にはなんの用意もなく突然ハンマーでぶん殴られる


地雷がそこかしこに設置されているスラム街


なんのジョークだろう


僕が何をしたっていうのだろう


時折、優しい風が吹く

存在が優しいキスをしてくれる

幸運の羽が時折舞い降りて

死にそうになった僕の心を一時の間救ってくれた

地獄の中で、蠢いている時、天からするすると蜘蛛の糸が降りてきて僕に上がってこいと助けてくれた

そんな時は本当に孤独の中で安堵した

孤独だけが救いだった


荒々しい世界で傷ついた

酷い惨めさが、救われる

そんな時

人生の妙味を感じられた

妙な世界

不思議な時間感覚だった

あらゆることは無常であり、苦悩の長い長い前奏曲が去った後、時折無垢な孤独の束の間の楽しさのがやってくる


愛が

神の悪戯、ーー愛が

全てを支配している

それが宇宙の法だ


愛って口にしたくないほどの悲しみが湧いて溢れるから

悲しい愛の流れがとめどもないから少年は歌を作った

と言っても紙に書いたりせずに

声にも出さず

心の奥で詠んだ

それが純真な喜びで楽しみだった


そういうのが音楽だって思った

音楽家とは何か知らないが

音楽とはそういうものだって本能で確信していた


窓を開けたら

勝手に流れてくるそよ風の様な


それは悲しみと喜びの色香があって

不可思議な色価、valueヴァルールがあって

神秘の諧調を魂で認識できるのだ

魔術でもなんでもなく現実の神秘



音楽は大切なことと通じていた

音楽になる前の

幼児性が天真爛漫で凶暴なまでに純粋なのは

内の声と繋がっているからだ


内の声は全てと通じている

この世に在る存在の全てと

死者にも神にも天使にも金星にもどんな細胞にもどの宇宙にも通じる

ウチも外もなく無制限に通信する高性能の受信機


内の声は

社会のレイヤーにはない

古代の、古層のレイヤーの

そんな次元感覚

それは

音が生まれる神秘と通じている

色が、光の中枢と僕を繋ぐ媒介者である様に

音が静寂と僕を繋いでくれる

音があると言う認識世界に感謝する


りんごが木から落ちる時音が生まれる

ー 蛙飛び込む水の音 ー、

その様に詠んだ偉い人がいるが

音が生まれる時、その様な静寂が爆発する

その時世界が在るという不思議に音を通じて震撼する

もしも

若い、

人生を始めたばかりの男や女がそれを体感したら

どんな愚行を挑発されるか知らない

自然の恐ろしい暴挙 

ーと言っても自然はなんの作為もなく風を起こし木の葉を揺らし木の実を落としたに過ぎないー、

単なる現象だ


あらゆる雲が去り、空は茜色に染まりはじめた時分、声がまた僕に語りかける

「 ここで聴こえた、体験した全ては、日常に帰れると全て忘れ去られ、忘却の彼方に葬り去られるだろう。

夢の様に。それでいいのだ。

お前は忘れるが、記憶に確実にレコードされている。

必要な時ここで得た力がお前を助けてくれるだろう。

その時お前はなぜか分からないが力を感じるだろう。

さあ、帰っておやすみ。お前がここで体験した出来事の全ては完全に忘却される。

しかしこの夢の様な現実の神秘の中でお前は何かを感じ、力を得、何かを決心された。

お前は決心した通り、現実の中でまっすぐ進んでいくだろう。大きな力に守られて。

                       」 



紙にも何にも書かない詩人がいる。特に少年期に多く溢れている。

彼を馬鹿にしてはならない。

彼の言葉に耳を澄まさなくても良いが馬鹿にしたらいけない

彼、そして

本当に絶望し

苦しみと悲しみを魂の奥底で感じている人の眼マナコの奥には

危険な純真さが在る

彼にはどんなことも透明に映る

彼には人間の本音が見える

彼は嘘がすぐわかる

なんでもテレパシックに感じて辛いから、ひたすら孤独にいることを願ってる

だけどこの世の美しさを誰よりも感じていて味わい知っている

賢者の様な愚者の様ななんでもない無邪気な子供の様なひねくれたおっさんの様な


誰もが、みんなが、今日の為に今日を生きていることを忘れ

殺しあったり愛しあったり

平和だったり忙しかったり

現実に忙しくしたり夢を追って妄想したりして

本当に存在しているとは言えない。現在を本気で生きているとは言い難い。

少年の心に、記憶に触れるとそんなことを思い出す。

少年とは何かって答えだけど、それは存在だと言い換えられるかもしれない。



茜色の空。存在の風。風が頬をうつ。木の葉を揺らす。カラスが鳴く声が静寂を破く。五時の鐘が鳴る。さあもう帰る時間だ。

「全ては最善な事が起こっている」と声はまた僕に言う。「そうだね」って僕は笑って返す。

さっきから言っている声とは何か。それは認識できない何かだ。

でも確かに在る何かだ。

少年はそれを感じて、静かに一呼吸する。

この一呼吸の間に、どれほどの事が起こっているか。

それは誰にもわからない。わかる必要がない。

それを認識しようがしまいが関係もない。


今日も世界中で蠢く敏感な魂をもつ少年たちの心が守られてあります様に

と密かに祈る夕方のある日


皇紀2680年10月20日17:00




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