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今、どう在りたいのか、を自分に聴く。
魔法の言葉はいつでもアイテムとして持って置くと重宝する。
今ふと沸いた言葉。
「今、どう在りたい?」
この言葉はいつでも自分に聴いたらいいと思う。
自分の在り方が決められずブレている時迷いが生じる。
だから迷いが生じた時、
忙しさにかまけて自分を見失っている時、
「今、どう在りたい?」
と虚心坦懐に優しく自分に聴く。
それに素直に正直に答える。感覚を敏感にして。
休みたいのか。くつろぎたいのか。何かに挑戦したいのか。幸せで在りたいのか。今、どうしたいのか、どうありたいのか。
何が嫌で何を望むのか。
本心から自分の在り方を見つめる。
誰かがこういっていたし、ああした方がいいんじゃないか?
とか誰かの意見や価値観を参照にして自分の気持ちを蔑ろにしたり
こうあるべき、といった常識や固定観念に囚われて、今はこうすべきじゃないか?
と自分の気持ちに蓋をしたり。
よくありがちなことだ。
本質ではない思考のお喋りに気づくことが大切だ。
思考のお喋りをほおっておこう。
あったかいお茶でも飲み、ほっと一息つき、くつろごう。
一休み。一休み。
体に緊張があるのならさすったり、揺すったりしてほぐしてもいいだろう。
そして自分のペースで自分に「今、どう在りたい?」と優しく自分に聞いてみて。
それに丁寧に答えてみる。
直感的に。
そうすると、人によっては、「今それどこじゃないわ!」
「仕事ガー」
「お金ガー」
と、なんやかんや思考がお喋りをしきりにまくし立ててくる。
ここがポイントで、思考の声を鵜呑みにせず、疑う。
本当にそうなの?と問うてみる。突っ込んでみる。
まず思考のお喋りに気づく事が大切だ。思考の言葉は意外と真実味がない幻影であり取り越し苦労なだけだったりする。
今だけくつろげるってことは誰でもができるはずである。
本当に今この瞬間に危機が差し迫ってると言うことは正直言ってあまりない。体の緊張がアラートを発してありもしない危機感を煽っていると言う場合も多々ある。
人によっては体に緊張が強くあってなかなかくつろげない、と言った場合もあるかもしれない。
公園いくなり森林浴するなりサウナいくなり瞑想するなりなんなり自分なりのリラックス方法を見つけるのもいい。
もし自分で無理そうなら誰かに手伝ってもらうのもいいだろう。気軽に人に話を聞いてもらうだけで肩の荷が下りるってことも多々あるかからね。自分の気持ちや考えがまとまるってこともあって誰でもいいから人に話をしたり、ネットでも言葉だけのやりとりだけでもいろんな気づきがあるもんだよね。
ワィはよくサウナに行く。近所に最高の施設があってこれは文字通り最高だ。そこは野外にあって、サウナと水風呂、そして人間をダメにする椅子が置いてあってサウナ→水風呂→椅子のルーティンを飽きるまで繰り返す。天井は吹き抜けで雄大な空を満喫できる。
自分の声を聴く。感覚を敏感にして。
例えば日頃、調味料でも服でも何かを買う時、いつもの習慣で買うのではなく、ちょっと感覚のセンサーを働かして、品を選んでみる。心地よい感覚、楽しい感覚、ときめく感覚で選んでみたり。
習慣ではなく、こうしよっかな〜という感覚に従って動いてみる。
思考の癖のまま行動するのではなく、直感と感覚に従うと、新しい発見やマンネリでない新鮮な何かに出会いや発見があったりする物である。
自分のあり方を決める為の魔法の言葉。
人の目だったり、なんらかの意味に対する囚われだったり、固定観念だったり、、
自分を縛っていたものに深く気付き本質の自分として楽になる、自由になる手助けとなるアイテムとして
「今、どう在りたい?」と自分に聴くと言う習慣はオススメだ。
それは自己発見や自分を愛するということにも繋がる。
ではまた〜
Twitter→@ahoahoman0333