見出し画像

薄毛専門を謳う美容院『INTI』はなぜこの世に誕生したのか。

業界初となる『薄毛特化』の旗を掲げ、8年前にその一歩を踏み出した美容院INTI(インティ)。

当時は色物扱いされたそのサロンも、今では全国に10店舗を構え、年商4億円を誇る人気サロンへと変貌を遂げていた。

“美容院の倒産件数が過去最多を更新”

「美容室」の倒産 107件で過去最多を更新 
新規開店に加え、物価高・人手不足が経営を直撃。コロナ禍で痛手を受けた美容室の倒産が、最悪ペースで増加中だ。2024年1-11月の美容室の倒産は、107件(前年同期比37.1%増)に達し、すでに2000年以降で年間最多の2019年(105件)を超えた。

出典:東京商工リサーチ

Yahoo!ニュースに「美容院倒産」の文字が踊る。

そんな暗い話題が多い中、25名と少数精鋭のスタッフを率い、破竹の勢いで成長を続ける美容院INTI(インティ)。

先進気鋭の薄毛専門美容院の誕生は偶然だったのか。

これまでに受けたどこの取材にも語ることのなかったINTI誕生の真実を、INTI創設者 宮本洋平が包み隠さずここに綴る。


序章 誕生

渋谷駅から徒歩10分。
決して好立地とは言えない場所にひっそり佇む、築50年の雑居ビル。

古さ感じるそのビルは、ワンフロア10坪程度と狭い。
INTIはその4階に拠点を据えた。

忘れもしない。
9年前の2016年。

3月21日。

確かその日は雨だった。

INTIは渋谷の外れの小さなビルで、日本で初めての薄毛男性専門の美容院として、静かに産声をあげた。



一章 少年

昭和52年兵庫県伊丹市。
私は第一子として生を受けた。

思えばその日も雨だった。


昭和カタギで厳格な公務員の父に育てられた私は「男は武道を習え」と、父の紹介で意味もわからず地元の少年剣道クラブに入会した。

小さな頃から外で運動をするよりも、部屋で絵を描くことが好きだった私にとっては、野暮な武道が嫌いでしょうがなかった(結果12年も続いたが)。


その後、次々と弟が誕生しいつのまにか男ばかり4人兄弟の長男となっていた。

長男の私は体格に恵まれ、近所の子を引き連れて歩く、地元のガキ大将風に育っていった。

剣道部ではキャプテンを務め、団体戦になると大将を務めた。

地元の公立高校に進学したが、
(ガリ勉=格好が悪い)
と良くわからない自分の美学をこじらせてしまい、不真面目を演じることで格好をつけた。

そんなひねくれた役者魂で高校生活を過ごしてしまい、大学進学の選択肢が閉ざされてしまった私はやむなく美容の道を選んだ。

公務員にさせたがっていた父は案の定大反対だった。

-男が美容師!?

まだそんな時代だった。

私は父を説得し、期間を決めてダメなら転職するという条件で美容専門学校を受験した。

しかし専門学校2校を「素行不良」との理由で書類審査でまさかの不合格となる。
美容師のスタートラインに立つことすら危うくなった私だったが、なんとか大阪にあるベルェベル美容専門学校へと進学を果たす。


専門学校ってそんなに落ちるものなのだろうか?




二章 啖呵

当時、1年制だった(今は2年制)美容学校を卒業し、地元の美容院に就職した。

手先が器用だったこともあり、練習量と比例して技術はどんどん上達した。

地元サロンに流れる特有の穏やかな空気感の中、野心に溢れギラギラした目をしている青年は少し浮いているようにも見えた。

入社2年が経った頃、

ーここにライバルはいない。

そう感じた私は、上京する決意を固めた。

1999年の22歳。
のちに日本を席巻する美容ブームが訪れる直前の事だった。

私は新大阪から東京へと向かう新幹線の中から、青山・表参道にある名門『ヘアーディメンション』に電話をし、当日飛び込みでの面接を申し込んだ。

面接では何を話したかは覚えていないが、
私を落としたら必ず後悔しますよ。
と脅迫まがいの啖呵を切ったことはハッキリと覚えている。

なぜか面接も無事合格し、晴れて有名店の美容師となった私は、毎日が「美容の全国大会」のような表参道で日本一の技術を目の当たりにした。

私も負けじと早朝から夜遅くまで毎日練習に明け暮れた。
たくさんの芸能人とも知り合い、イメージ通りのキラキラ輝く美容師ライフを謳歌していった。


そんな矢先、25歳の自分にある変化が訪れた。


あれ?
髪が薄く
なってる?


美容師は髪のスペシャリストだ。

自分の髪の異変にはすぐ気がついた。

嫌な予感は的中した。
歳を重ねるたび髪が細く、薄くなっていく。

まだモテたい盛りの20代。
今後自分の髪がどこまで薄くなっていくのかわからない。

進行」の恐怖と不安が日増しに大きくなっていく。


さらに美容師という特異な業種がそのコンプレックスに拍車をかける。

ーなぜ、よりによって髪を扱う美容師を選んでしまったんだろう。

そんな考えすら頭をよぎる。

次第に帽子をかぶることも多くなり、プールや海など髪が水に濡れる場所を避けた。

髪は自分で切ることにし、合コンでは髪の話になると用もないのにトイレに行くと席を立った。

やがて、日毎に進行する薄毛の恐怖から、ついには夢を見るほどになっていった。




三章 刺青

一方で仕事は順調だった。

美容師としての売上は泣かず飛ばすだったが、ヘアメイクとして活躍の場を広げていった。

美容師はサロンでのヘアカットやパーマがメインの仕事だが、ヘアメイクはカットはせず撮影現場でメイクを施し髪をセットする職業だ。

美容師がヘアカットのプロなら、ヘアメイクはヘアセットのプロといったところだろうか。


美容室でのお客様は女性ばかりだったが、ヘアメイクの方はというと徐々に男性タレントや男性ミュージシャンからの指名が増えていった。

やがて、誰もが知るような男性アーティストなどからも指名をされ、ヘアメイクとして多忙を極めていった。

「これまでのヘアメイクさんの中でもダントツに上手い。」
「宮本さんのヘアセットじゃないと撮影したくない。」

そんな多くの嬉しい言葉をかけられ、美容師よりヘアメイクとしての才能を信じてみようと思った私は、美容院を退職しヘアメイク事務所「INTI」を開業することにした。


開業の一年前。

一人旅が趣味の私は古都マチュピチュを訪れるため、ペルーのクスコという町にいた。

インカ帝国が栄えたこの地を訪れた私は、若さから旅の思い出にと町のタトゥーショップに駆け込み、ここのシンボルは何かと尋ねた。

そうすると、インカ帝国の太陽神「INTI(インティ)」だとマスターは答えた。
デザインやその由来を気に入った私は、商売道具の右腕に太陽神「INTI」のタトゥーを彫った。




四章 植毛

そんな矢先、私は妻と恋に落ちた。

約2年の恋を育み、結婚することが決まった。

幸せな日々の裏側で、心の奥で日増しに膨らむ「コンプレックス」という名の黒い風船は、いつ破裂してもおかしくないほど大きくなっていた。

結婚式の段取りが進む中、薄毛の自分が受け入れられず自毛植毛の手術を受けた。

34歳。

2012年3月21日のことだった。


術後は髪が無くなっていくという絶望から、
生えてくるかもしれないという希望に変わった。

行動にも活発さが戻り、心の黒い風船も音を立てて萎んでいった。
そして、変化の様子を自分でも経過観察ができるようにと匿名でアメブロを始めた。

まだ、そのブログが残っているので添付しておく。

『アイランドタワークリニック植毛伝説』

『植毛伝説』
そう名をつけたブログは、最初は自分しか見ないので1日のPV数は1や2の日がしばらく続いた。

この時はまだ「植毛」自体の知名度も低く、実際の手術経験者はかなり少なかったはずだ。

なので当時、リアルな植毛体験ブログはこの植毛伝説以外に存在しておらず、植毛を検討する人にとっては貴重な情報源となっていった。

閲覧数も徐々に1,000、2,000PVと増え、2chでスレッドが立ち上がるほど植毛伝説の知名度は広がっていった。


一方でブログの更新は、術後すぐは日ごとの変化も大きくネタに困らなかったが、変化が落ち着き始めた3ヶ月目くらいから書くネタがなくなってきた。

ネタ切れを理由に自分が実は美容師であること、今は美容院の一部を間借りしてヘアカットしていることを公表した。

美容師であることを公表すると髪を切って欲しいというDMがチラホラ届き始めた。

これまでもメンズカットはしていたが、同じ悩みを持つ人のカットは、その人は何が気になっていて、どうされたら嫌なのか。

どこを切ると薄毛に見えて、どこを残すと髪が多く見えるのか。
自身の経験と工夫を技術に落とし込みながら、デザインを作り上げていくことができた。

技術だけではない。
ご案内する席の場所や濡れてる時の気遣い、声のボリュームや照明の調整など、薄毛に悩む人の心の中にも寄り添った。

初めて訪れるお客様の大半は帽子を目深に被り、少しうつむき加減で来店されるが、カットが終わり帰る時の表情は、まるで別人のように晴れやかだった。

生気が宿ったその目にはうっすら涙が浮かんでいる。

「明日から帽子を被らず生活ができる。」
「本当に。本当にありがとう。」

大の大人が言葉を詰まらせ、涙を浮かべ喜んでくれる。


私はこれまで有名人を担当し、流行りの髪型を作り、キラキラしたステージでスポットライトを浴びて輝くことこそが、表参道で働く美容師が追い求めるべき理想の姿だと信じていた。

私の技術が人の人生を変えている。そう感じることができる度に、今まで追い求めてきた理想の美容師像の影は薄く霞んでいった。




五章 手紙


ある日、薄毛で悩むお客様からアメブロにダイレクトメールが届いた。

それはこのような内容だった。
許可を頂けたので原文ママに掲載する。

宮本さん、こんばんは。

私の事話します。

私は、会社を休職していました。

昨年、長年勤めていた会社を辞め転職したのですが、転職先でうまくいかず、日に日におかしくなりうつ病になってしまいました。
ハゲが進行し、いろいろ言われた事もうつ病になった原因の一つだと思います。

精神科に通いながら、大手の薄毛のクリニックに通いましたがうまくいかず、訳わからなくなっている時にブログで宮本さんの事を知りました。
何度かメールをしたりしましたが、予約を入れるに至らず...
床屋に行っても、まともにカットをしてもらったことのない私にとって、予約を入れることはとても高い壁でした。
美容師さんを全く信用していませんでしたので。
まして都内のおしゃれな美容室でカットするなんて考えもしませんでした。
勇気を出して予約を入れた時は緊張しましたし、実際にカットする当日は、心が破裂しそうで、美容室の前の通りを行ったり来たりして逃げ帰ろうかと思いました。

そんな私を宮本さんは温かく受け入れていただきました。
宮本さんは薄毛の私の要望をちゃんと聞いていただき、その中での最良の提案をし、カットしていただきました。
その日の帰りの心の開放感と言ったら、言い表せないくらいの素晴らしいものでした。

あの日から少しずつ良くなり、できる事が少しずつ増え、外出も帽子をかぶる事なくできるようになり、古い友人や、前職の仲間とも会えるようになりました。
本当、少しずつ少しずつ良くなりました。
おかげさまで12月から職場に戻ることができました。

宮本さんのテクニックは、うつ病も改善するほどの素晴らしいものです。

いつ薄毛が改善するかわからない物にお金をつぎ込んでいたのは時間の無駄でした。
もっと早く気づきたかったです。

本当感謝しています。


私はDMを読みながら涙が溢れた。

これまで誰にも話せず、ずっと辛かったんだろうな。
目を合わせて話すこともままならなかったんだろうな。
薄毛が進行する毎日は不安だったんだろうな。

など、同じ悩みを持つからこそ、こらまでの苦悩や不安が痛いほどリアルに想像ができた。


自分は薄毛に悩む方の人生を変えることができる技術を持っている。

そしてこの技術を必要としている人は多くいる。

そんなお店が流行るかどうかはわからないが、悩む人たちのために残りの美容人生を捧げよう。

そう覚悟を決めた時、
ついにINTIの出店計画が現実のものとなり動き出した。

出店を意識し始めた時のことも、当時の植毛伝説に記していたので参考までにリンクを貼っておく。

出店2年前のブログ『植毛伝説』より




終章 出店

渋谷駅から徒歩10分。
決して駅近とは言えない場所にひっそり佇む、築50年の雑居ビルの4階。

古めかしいそのビルは、ワンフロア10坪程度と狭い。


2016年3月21日。


ヘアデザインで人生を変える
をコンセプトに掲げる、日本初の薄毛専門美容院INTIは誕生した。

ー3月21日

出店からさかのぼること4年。

くしくもINTI誕生の大きなきっかけとなった植毛オペ日も出店日と同じ3月21日だった。



2024年12月現在
INTIは東京、大阪、福岡と店舗を展開し8店舗にまで成長。
薄毛女性専用の美容院「TELAS(テラス)」も東京、大阪に2店舗を構える。

今後、名古屋、札幌への出店を予定。
海外展開も視野に成長を続けている。



最後までお読みいただきありがとうございます。

僭越ながら最後に私から皆様にメッセージを送らせていただきます。

薄毛で悩む方々へ

えも言われぬ不安と恐怖に日々心を苛まれていることでしょう。心中お察し致します。
また、誰にも相談できず1人でお悩みの方も多くいらっしゃるかと思います。
そんな方は、美容師でも、お医者さんでも、親友でも構いません。
まず誰かに悩みを打ち明けてみることを強くお勧めします。

コンプレックスを口に出すことに抵抗があることは重々理解していますが、相談相手ができることで心への負担はかなり楽になるかと思います。
もちろん私たちがお力になれるならぜひ頼ってください。

少しでも心が穏やかな日が増えますことを祈っています。

理美容師の方々へ

自分の薄毛を笑える人もいますが、笑えない人もいます。
私たち理美容師はそのような笑えない人々を笑顔に変えることができる、素晴らしい技術を持っています。
風当たりの強い時代ではありますが、理容師、美容師という仕事に再度、誇りとプライドを持ち、理美容師の社会的価値を共に高めていけたらと思います。
貴店の益々の発展を心より願っております。


スタッフのみんなへ

きっとINTIで働く皆にとっても、初めて聞いた内容もチラホラあったのではないだろうか。

いつしか創業者の想いは、時間と共に風化され、私の声も届かなくなるのだろう。

ただ、これだけは忘れないでいて欲しい。

この先、どんな困難な状況が訪れたとしても、酷似したコンセプトの競合店がどんなに増えたとしても、
INTIはこの世に存在し続けなければならない
唯一無二の美容院
であるということを。

そして、自分こそがINTIである
という誇りを持ち真摯にお客様と向き合って欲しい。

『ヘアデザインで人生を変える』

その言葉を胸に。

INTIの発展と、皆の活躍を心から祈る。

いいなと思ったら応援しよう!

【薄毛専門美容院】INTI代表 宮本洋平
よろしければサポートお願いいたします。頂いたサポートは新たな企画や情報収集に使用させていただきます。