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ムチ


 週三回の集会の前には、家族全員で1時間ほどかけ予習をする。次の集会で学ぶ雑誌等を読み、質問への答えを考える。集会では司会者が質問をし、挙手をした人を指名し、指名された人が注解(回答)する。毎回注解しないと怒られるので、自分が答えられるところで頑張って挙手した。終わりごろになっても注解していないと、母が横から睨んでくるし、肘で突かれる。冷や汗が出るほど緊張した。

 でも、この質疑応答による研究の時間はまだまし。問題は、日曜日の45分の講演や、木曜日の前半などのひたすら聞く時間。そもそも幼くて教義に興味ないし、聞いていても全て理解出来るわけもなく、すぐ飽きる。だけどゴソゴソ動いたり、絵を描いて遊んだり、手遊びしたり、よそ見したり、まして居眠りするなんてことは許されない。真面目に前を向いて話を聞き、要点はメモを取り、示された聖書の箇所を開かなければならない。小さいながらに頑張ってはいたものの、眠くなってウトウトしてしまったり、つまらなくなってお絵描きしてしまったりする。今考えても仕方ないと思う。だって保育園児くらいの年齢なんだから。

 だけど、やらかしてしまったら最後、待っているのはムチ。つまり体罰。寝たり、遊んだり、態度が良くないと親が判断すると、親は子どもを抱えて別部屋へ行く。この時点で子どもは叩かれることが分かるので泣き叫ぶ。うるさくて迷惑になるから親は子どもの口を押える。私の両親は鼻も口もがっつり押えるから、息が出来なくて死ぬんじゃないかと思うほど苦しくて余計に泣いていた。

 別部屋には数種類のムチが置かれていた。ゴムホース、布団叩き、定規など。親は泣き叫ぶ子どものパンツを下ろし、ムチを子どものおしりに力いっぱい振り下ろす。叩かれたところは赤くみみず腫れになる。おしりから外れて太ももに当たった日にはもう…。「静かにしなさい」「寝ないでしっかり話を聞きなさい」「いつまでも泣かない。自分が悪いんでしょ!」など言われ、おしりの痛みを我慢しながら、席に戻される。座ると叩かれたところがよりいっそう痛む。また叩かれるのは嫌だから頑張っていると、今度は別の子が泣きながら別部屋に連れて行かれる。

 小学校高学年くらいになると、さすがにその場で叩かれることは無くなったが、代わりに母のノートの端に正の字が書かれていく。ムチの回数をカウントしているのだ。集会が終わり家に帰る道中は地獄だ。母が忘れていることを祈る。「神様助けて!!」って祈りながら、誰に祈ってんだと自分で突っ込みそうになる。「子どもはムチで矯正しなければならない。それが親の愛情だ」というのが神様の教義なのだから。テンションをあげて話をしてみたり、いい子にしてみたり、なんとか忘れてくれるよう願うが、「こっちに来なさい」と呼ぶ母の手には布団叩き。ノートを見せられ、「○回ね。おしりを出しなさい」。絶望の瞬間だ。

 叩かれるのが分かっていて自分から寝転んでおしりを差し出すなんて…。泣きながら渋っていても許されるはずもなく、待たされる母のイライラもつのる。「早くしなさい!」と手をつかまれて必死に逃げる。

 抵抗空しく布団叩きで何度もおしりを叩かれる。「叩くほうだって痛いのよ」って、大嘘だ。そっちは布団叩きなんだから。しかも古くなった布団叩きの持ち手にぐるぐる巻かれている硬い紐のようなものが切れていたら最悪。おしりに刺さる。叩かれた後何日も何日も痛んだ。

 小さな子を持つ親の間でよく話題になっていたのは、「どのムチが効くか」。ゴムホースを切ったものがいいとか、定規だとか、ベルトだとか…。よく子どもの前であんな話を笑いながら出来たものだ。恐怖でしかない。

 中学生になると、おしりを叩くのはさすがに無くなったが、ノートを取っているシャープペンシルで太ももを刺されたり、思いっきりつねられようになった。どちらも青あざになるほどの力で。


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