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日本をもうひとつの故郷として愛し、骨を埋めたふたりのイタリア人のこと

イタリアの碩学のひとり、クラウディオ・マグリスの記念碑的大作「ミクロコスミ」を翻訳。2022年に出版した、気鋭の翻訳家二宮大輔氏の寄稿です。それぞれにまったく違う境遇で、長い時間を日本で過ごしたジャンルカ・スタフィッソピオ・デミリアというふたりイタリア人が、この1年の間に次々に亡くなりました。そのうち、日本をベースにイタリアメディアの極東アジア特派員を務めたジャーナリスト、ピオ・デミリアは、幅広い見識に基づく体当たりの取材で、日本のみならず、アジア各国の諸事情を掘り下げ、イタリアの人々をぐっとアジアに近づけた、と思います。デミリアの報道のあり方は、われわれ日本人にとっては多少辛口の部分もありましたが、フィルターがかからない率直な洞察でもあり、その端々に日本への誠実な愛情が見え隠れしていました。デミリアが亡くなった際は、本人のかねてからの強い希望で、日本荼毘に付されたそうです(タイトル写真は、ytali.com掲載のジョルジョ・アミトラーノ氏の記事写真を加工して引用しています)。

日本在留イタリア人の死 

2022年11月18日にジャンルカ·スタフィッソが亡くなり、2023年2月7日にピオ·デミリアが亡くなった。二人の死に関連性はないが、共通点としては、どちらも日本に住んでいたイタリア人だった。

ジャンルカ·スタフィッソは自死だった。ペルージャ出身のグラフィックデザイナー兼写真家のスタフィッソは、2005年に日本に来日する。2008年に日本人女性と結婚し、東京都福生市に住んでいたが、その10年後、妄想性パーソナリティ障害の疑いがあると診断され、日常生活が困難になった。おそらくこの頃、結婚相手の女性とも離婚したと思われる。

そして2020年に日本での在留資格を失い、警察に逮捕され、入管施設収容される。すぐに仮放免となったものの、行き場を失ったスタフィッソは、福生市河川敷の橋の下でホームレスとして暮らしはじめる。ホームレス生活が1年ほど続いた2022年10月、橋の工事に伴い立ち退く羽目になり、再び入管施設収容される。その1か月後、テレビの電源コードを使って、自ら感電死した。享年56歳だった。

話をピオ·デミリアに移す前に、入管施設について説明を加えておきたい。まず入管の正式名称は出入国管理庁という。法務省に属しながら独立性の強い外局という立場で、その名の通り出入国の管理を行う。そこで問題となっているのが来日した外国人の管理だ。その管理の基準が不当ではないかということで、非難されているのだ。

外国人の不法滞在や偽りの難民申請を取り締まるための正当な処置だという声もあるが、在留資格を失った外国人が収容される施設において、収容者扱い方問題があるのも事実だ。最悪のケースでは、入管施設内で体の不調を訴える収容者に適切な対処が施されなかったため死亡する事件も起こっている。例えば、2021年3月に名古屋の入管施設で病死したスリランカ人女性ラスナヤケ·リヤナゲ·ウィシュマ·サンダマリの死亡事件は、2022年3月に遺族が入管に賠償訴訟を起こしたことで、現在も大きな注目を集めている。

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