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スケジュールを組むコツ? アナロジー。ULMR small work1

「ULMR small work」 とは、編集長のおかふじによる本の紹介を中心とした断想集です。

『データの見えざる手』(草思社)を読む。著者の矢野和男は、日立製作所の主管研究長として、最新のウェアラブルセンサといったテクノロジーを駆使し、8年以上かけて100万日分の人間の活動データを収集・解析してきた人だ。そして本書では、最新のデータから新たにわかった「人間の法則」について書き記されている。
ちなみに最新といっても、本書は2014年に出ているものなので、ウェアラブルセンサという言葉に私たち非専門家は聞き馴染みがないが、それは現代でいうところのアップルウオッチみたいなものと考えていいだろう。

さて、この本。専門家が最新の研究結果をまとめたようなものにしては珍しく、発売から8年経ったいま読んでも面白いのだから凄まじい。本人も冒頭で「長く残る本にしたい」という旨を語っている。色々と興味深い箇所はたくさんあるが、さっそくひとつ面白い実験を紹介しよう。

著者たちの実験チームは、腕の動きを計測するウェアラブルセンサを被験者12人に取り付け、それぞれ4週間ずつ、のべ9000時間にわたって計測した。すると以下のようなことがわかった。

・人は1日約7万回しか腕を動かせない
・腕の動かす回数はU分布になる

上から見ていこう。人は1日7万回しか腕を動かせない。これは面白い。具体的な数字はともかくとして、ぼくたちの身体には、物理的にある種の上限があるということだ。
そして次。U分布になるとはどういうことか。U分布とは、たとえば以下のような感じである。

U分布は、私が、幅広い人間行動や社会行動を計測するなかで見出したものだ。(中略) 簡単にいえば、計測期間を1日以上のように長くとると、50回/分以下 のような動きが穏やかな時間が多く、激しい動きを示すのは少ないのが特徴だ。その少ない動きが指数関数に従っている。
この傾向は大変規則的で、典型的には1分あたり60回以上の運動をすることは、1日の半分(1/2)程度だが、1分あたり120回以上の運動をすることは、その半分(1/4)程度に減る。さらに1分あたり180回を超える運動をすることは、さらに半分(1/8)程度に減る。
27~28頁

つまり、人間は1日7万回しか腕を動かせないからといって、その回数の予算を1日の中で等しく分配しているわけではなく、低密度な運動がベースとしてあり、そのうえでごく短時間のうちに激しい運動が行われる時間帯もあるといった、かなりバラツキのある予算配分をしているということだ。ぼくは統計の専門家ではないので違うかもしれないが、おそらく「世界の上位1%の富裕層たちが世界全体の富の4割を保有している」といった格差の問題も、同じような分布だと思われる。少なくともどちらも正規分布ではなく、かなり偏りのある分布になっている。

話が逸れたが、この面白い結果を押し広げて考えると、たとえば1日のスケジュールを組む時に、人と喋ったりプレゼンするといった激しい腕の動きの時間と、デスクワークのような穏やか腕の動きの時間を上手く取り入れることで、疲れにくい、人間の身体にとって無理のない予定を組むという応用が考えられる。だからこそこの本は、様々なデータから最終的には人間のハピネスを考えようという構成になっており、著者が文理の枠を飛び越えたがっているのが伝わってくる。

そういえば自分も、20歳~22歳までの2年間、毎日身体の調子や天候や睡眠時間を記録していたことを思い出す。そこから、「23日間調子が良く、続いて4日間程度調子が悪くなる」といった自分自身のバイオリズム、法則性を見出した。刹那的な自身の感覚だけでうまく身体運用できないときは、冷静にデータを取り、自身の身体のクセを知った方が良い。それだけで、しんどい時に「あぁ、そういえばそろそろ体調悪くなるころだからか」と、別の視座を獲得でき、“今その瞬間のしんどさ”を相対化できる。事前に対策も立てやすい。

ところで、『データの見えざる手』に通底しているのは、「人間も物理的な存在なので、物理学の法則が当てはまるのではないか」という考えだ。たとえば21頁には「万物を支配するエネルギー保存則は人間にも効く」というタイトル付けがされている。
このように、一般的にAとB(今回の例で言えば人間と物)のように別々のものだと思われていることに、共通性を見出すような発想は人類の知を大きく進めてきた。そもそも現代の物理学自体も、天体とリンゴの落下運動に共通性を見出したニュートンに端を発している。

ニュートンといえば、彼の天体力学は、一見関係ないと思われている経済学にも実は大きな影響を与えている。『現代経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』(講談社)では、経済学という学問が、いかに物理学の世界観に即して構成されているのか、鮮やかに記されている。

さてこの天体力学だが、人類史的に見ても天体力学の出現は、それまで神の領域であったはずの天体の運行が、数学を使うことによって人間に全て解き明かせる、ということを示したという点でも画期的な意義を持っていた。それはひいては、この世界の全てを合理的な力学のメカニズムで説明しうるという、文明全体にとっての革命だったのであり、われわれの近代文明が全てその影響の上に成り立っていると言っても過言ではない。
そしてそういうつもりであらためて眺めてみると、アダム・スミスの経済学が天体力学のどの部分に影響を受けたかは、ちょっとでも経済学を知っている人ならすぐにわかるだろう。それは言うまでもなくこの経済学の中心思想、つまり価格などが需要と供給の間で行ったり来たりを繰り返しながら自動的にバランスをとって安定する、という部分であり、この考え方がまさに、惑星や彗星などが太陽の周囲でバランスをとって、近づいたり遠ざかったりを一定周期で繰り返しながら安定した起動を保つ、というビジョンをヒントにしているのである。
22,23頁

この本では他にも、光の反射の問題とマクロ経済学の言説のつながりを示すなど、経済学という学問が、かなりの部分を物理学のアナロジーで組み立ててられていることを、見事な手さばきで説明していく。しかしあらためて考えてみると、「物理学」と「経済学」というように別のものとして認知しているのは現代に生きている人間特有の認知であって、当時の人たちからすれば、きちんと地続きの学問として当たり前のように把握されていたのかもしれない。

いずれにしても、物理学を人間に当てはめてみたり、物理学を価格や需要供給に当てはめてみたり、どちらも物理学という道具を本来の使い方から飛躍させることで大きな発見につなげている。

社会学者のリチャード・セネットはその著書『クラフツマン』(筑摩書房)で、ある実践を導いている原理が別の活動に応用されることや、ある道具が本来とは別の利用のされ方をすることを「領域変更(ドメインシフト)」と呼んだ。
この領域変更は至る所で起こっており、たとえば古代の織機の縦糸と横糸の結合から、紀元前六世紀には船の木材を接合するほぞとほぞ穴が生まれ、この直角の接合は道路の設計といった都市計画にまで広がっていく。

人間という生き物は、アナロジーを作動させ、次々と領域変更を行い、新しい事物を生み出していく。そう、まさにこの記事自体も『データの見えざる手』と『現代経済数学の直観的方法』と『クラフツマン』に、なにかしらのアナロジーを感じ取り、その3つを並べ、縫合することで、新しい記事として成り立っている..(笑)。

しかし、こうして考えていくと、人間が主体的になにかを作るというよりも、もはや事物に導かれるままに人間の側が操られているのかもしれないという気分になってくる。ケヴィン・ケリーは技術そのものを生き物と見做し、人間と技術の関係性を対等に置く。ユヴァル・ノア・ハラリは人類史における農業革命のことを「小麦による詐欺」と呼び、松岡正剛は「本は編集されたがっている」と言っていた……

人間はうっかり事物に導かれてしまう。だからそもそも、自分自身の身体やそれに付随するスケジュールを、コントロール可能なものとして認識しているところからやり直した方がいい。それよりも「なにに魅惑されたいか」から考えてみよう。この文章だって、最初からこんな展開になるなんて思ってもみなかった。ただ「『データの見えざる手』、面白かったなあ。紹介してみるかぁ」という感じで書き始めたところ、あれよあれよと言葉や記憶が芋づる式に湧いてきて、それにまかせて文字を打ち込んでいくと、こんな文章ができあがっていた。行き先不明の寝台列車に飛び乗った気分だ。身を任せれば、どこかに着いている。どこに行きたいではなく、どういう列車に乗りたいか……



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