下北沢の住民と一体化する映画 「街の上で」
ロケ地巡りの好きな私は、映画を楽しむ要素として地理的な整合性が取れているかということをポイントの1つとしている。
例えばA市に住む登場人物が「町内のお祭りに行こう」と展開を進める時に、B市の神社に赴いていたら矛盾が生じてしまうだろう。
撮影の都合、ロケーションの選定、そもそもそこまで気にしてねーよ、など色々な要因があるのは前提ではある。矛盾が生じていても特段気にする必要は無い。であるからこそ地理的な整合性が取れてると感じた時に、ピタッとパズルのピースがはまる様な心地良さを得るのだ。
この地理的な整合性を上手く創り上げているのが2021年公開の「街の上で」だ。
今泉力哉監督、主演は若葉竜也、友情出演に成田凌と豪華な顔ぶれの映画。
下北沢を舞台とした群像劇、というのが荒筋だ。しかしこの一言では片付けられない魅力がこの映画にはある。
「街の上で」の面白い点は物語もロケーションも全て下北沢で完結する所だ。
テレビドラマの様に「舞台は〇〇県だけど撮影は全部足利市です」という訳ではない。正真正銘の下北沢の映画なのだ。
この映画は下北沢で完結することに意義がある。
舞台を1つの街に絞ることで世界観は閉鎖的になる。しかしこの“閉鎖的”という言葉は断じてネガティブな意味合いではない。
地理的な縛りを課せば、各登場人物の日常を描いたドラマにリアリティが生まれ、ローカライズな人間関係を色濃く映すことが出来る。
下北沢というフィルターをを通し登場人物を垣間見る。すると人と人との繋がりが見えてくる。人々の奇妙な繋がりが巡り巡って還ってくることで、「この場所に彼らは存在するんだ」という気付きを得る。そうして温かみのあるストーリーが増して形成されていく。
あの街に彼らは存在するのだ、という確信に近い感情。主人公の立ち寄る中華料理店も、知人が働く古書店も。街の存在によって彼らが息づく。
劇中には下北沢のミニシアター(小規模の映画館)トリウッドがロケ地の1つとして登場する。
映画を愉しんでいる時、劇場は現実とフィクションの境界線を曖昧にする。「街の上で」を観ている間は我々も下北沢の住民になるのだ。
この映画を当時トリウッドで鑑賞出来た事を嬉しく思う。
人の数だけそれぞれの営みが存在する。それは現実でもフィクションでも同じ。
物語への共感はリアリティから。それが備わっているからこそ、この作品は素晴らしいのだ。