親による子どもとの探究塾 ー私の実践を支えたもの 2 佐伯 胖先生 (前半)
佐伯先生とは、私の教育学の恩師である。私は、高校時代、暗記法にハマり、イメージ化したらいい、というので、何でもそれを試みたが、中にはイメージ化にむいていないものもあった。それでも闇雲にやろうとしたら、教科書や参考書が読めなくなってしまった。
また、そもそも人間は、どうしてイメージ化ができるのか、などが気になり、大学の図書館(高校が附属だったので、キャンパスが隣接していた)にもぐって調べたり、それでも当時の本では、回答が得られなかったので、脳波を測定してもらったりと、いろんな悪あがきをしていた。そんな長い探究の後に、たまたま出会ったのがこの本である。
イメージ化による知識と学習
タイトルからは、私が痛い目にあった暗記術?のハウツーものかとも思えるが、それでも、普通、大学の先生が書く専門書とは思えない(当時、東大の教育方法学講座の助教授でいらした)。読み進めると、教育現場の先生向けの連載をまとめた本だとわかったが、とてもわかりやすいのに、問うていることは、ハウツーではない。
「擬人的認識論」
この中には、「擬人的認識論」という佐伯先生の独自の理論、という、物事や他者をより深く理解している時になされる心理プロセスを、「小びと」という寓話的な表現を用いて提唱したものがある。
簡単に言えば、理解したい対象に「なってみる」ということである。日常的にも、「相手の身になって考える」と簡単には言うけれども、自分が相手と同じ状況だったらどう思うか、と頭の中で少しの間、考えるだけである。
擬人的認識論は、対象が人間ではなくても、あたかも人間であるかのように見立てる点で擬人的なのだが、その際、佐伯先生は、無数の「小びと」を自分から派遣するという比喩で喩えた。
相手のいろんな部分に送られた小びと報告してくる情報から多角的かつ総合的に捉え、対象を吟味しながら納得する理解すると言うものである。
本と出会った頃から合気道を嗜んできた私にしてみれば、小びととは「気」のことだろうと置き換えて理解したり、また認知心理学から「注意の理論」を学んでからは、「注意」のことだろうと理解したが、派遣するもの自体も、「小びと」という、まるでディズニーの世界のように擬人化してしまうところが、佐伯先生のユニークな点だろう。
この本で、知識や理解というものについて研究する領域として、認知心理学という新しい分野であることを知り、それを日本にもたらされた佐伯先生という方から学びたく、門を叩き、その後、弟子(大学院生)にしてもらった。
ちなみに私は、この考え方が身に染み込んだのだが、それが数十年後にも活かされたと思われた経験が昨年あったのだ。
四谷大塚の入塾テストの理科でほぼ満点!
昨年、次男が6年になる直前に、中学受験することになり、大手の中学受験専門の塾の本部校舎を尋ねた。入塾は、平日の授業を受けた後、週末テストで一定の点数を越えたら入学できる、ということだった。
学校のテストでは、割といい点をとっていたので、受けたら通るだろうと思って子どもに任せていたら2回も落ちた。多くのお子さんは4年生の頃から通っており、授業を理解する基礎があるが、次男にはそれがない。3回目も落ちたら入塾を諦めますかねと担任の先生からも言われた。
次男には3度目の挑戦を励まし、平日の夜、翌日の講義の予習を30分ほどつきあった。内容は理科で「滑車」を扱う回だった。井戸のつるべが定滑車で、動滑車は、工事現場などでしか見られない形のものだ。
もう何十年ぶりに見る図だが、子どもは井戸も工事現場でも見たことがないので、定滑車は、自分が井戸になったような格好をし、両手を井戸のツルベみたいにして、ああ右手が重い・・・などといいながら引っ張られていく滑稽な姿を見せた。
動滑車は、次男と一緒に買物にいって、ポリ袋が意外と重かったときに、半分づつに分けて持った時のことを思い出して一緒にバーチャルで持った動きをしてみたりと、身体の動きを交えて滑車の動きをなぞらえながら説明してみた。子どもはケラケラいいながら楽しんでいたが、翌日の夜、帰ってきた次男が、
「今日、理科は20問中19問正解で、めっちゃ褒められた!」
と喜んで報告してきた。全国でも上位一桁だ、などとも言っていた。まあ、ほぼ満点だったら、そうなるだろう。
そして、同じ範囲から出る週末のテストは、他の国語や算数、基準点をまたまた越えられなかったが、この週の理科がダントツ良かったために、総合点で合格となった。
受験指導のプロの理科の先生から指導の秘訣を聞かれる
担任の先生は、理科がご専門で、結果の報告と同時に次のような質問を受けた。
「理科はすごく出来ていました。お父様から教わったとのことですが、どのようにして先週の理科を教えられたのですか?」
その時は、
「いや別に一緒に予習をしただけです」
としか答えられなかったが、今から思えば、対象である滑車に「なってみる」ことで、動きが自分の身体感覚の延長であるかのように思える。それが理解を深め、定着したのかも知れない。
通常の塾や学校でも、ああいうことはしないだろう。私は、すっかりと擬人的認識論にハマっていたので無意識に行っていたのだが、これはなかなか皆さんにもおすすめである。
本が絶版なので、どなたか丁寧に紹介しておられる記事がないかと探したら、ある研究雑誌の論文が出てきた。
栁原 沙織ら. 身体性を伴った理科学習についての試論―「ダンスで、理科を学ぼう」の授業分析―. 授業実践開発研究 第 2 巻 2009 年 3 月 p.7-15.
下記の「タイトル未設定」をクリックいただくと、中が見れます。
学術論文だけど、内容的に誰でも読みやすそうなタイトルだとさらっと見ていたら、なんと擬人的認識論の解説のところで「滑車」が出てきた! もう何十年も前に読んだこの本でも、滑車を例に解説されていたのであった。
息子の入塾試験のための回がたまたま滑車であり、私も即座に無意識に予習の解説をしたことは、もう因縁とでもしうしかないのかもと思える。この認識論の理科への適用が滑車だったことはすっかり忘れていたが、しっかりと「わかろう」として読んだから、私の身に備わったのだろう。
他にも、この本のことを垣間見ることが出来る記事を探したら、下記が出てきた。
先生は、たくさんの本をすでに書かれていたので、全て読んだことが、その後の探究心を刺激いただいた。多数の本があるので、そのうち皆さんにお役にたつと思える本を、あと2冊は、つぎの記事で紹介しよう。
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