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反抗期の中学生は「メタ認知」を定期試験の分析に生かせるか

 以前、中学生の息子に、メタ認知、つまり自分の認知を認知するという概念で、説明した。

 お忙しい方のために上の記事を要約すれば、

「人は、自の耳や目に入ったことの一部を切り取ったり、勝手に解釈したりしていることが多いので、自分がわかったと思っても、見直しや聞き直しをして「最後まで文章に注意を向けること」が大事、

「自分の頭に注意を向けて「自分が理解したと思ったことが、それでいいかどうか」を考えることが大事である」

ということだ。
これによって、生活場面でのコミュニケーションで、誰からに何かを尋ねられたら、「質問者の意図」を的確に把握することができるようになっていく。


メタ認知が学校の試験にどう関係しているか

 続いて、メタ認知が学校の試験で、どう役立つかの説明に進めた。

「テストの時も同じ。その問題文をしっかりと読むのが第一段階。そして、その上で、先生が、その問題を作る際、何を答えさせようと思って作ったのか、これを作問者の意図、っていうんだけど、それをしっかりと考えてから、答えを考え始めることだ」

息子の表情を見れば、わかっているのかどうか、わからない顔つきだが、は、だまってウンウンと聞いているので、続けることにした。

「ただ、これは、パパが聞いた質問と、実は大きな違いがあるんだ。それ、わかるか?」

「いや、わからない」

「ちょっと考えてみい?」

・・・

「わからないか。なら説明しよう。

パパは、君に、「今日、何をした」、とか、「なんで、それをしたんだ」とか聞くのは、単に知らないから聞いているだろう。でも、先生は、試験問題では、その質問の答えがわからないから聞いてるじゃなくて、よーくわかっているけど、生徒がわかるかどうかを確かめるために聞いているんだ。それはわかるよな?」

「うん」

「実は、試験問題というのは、全員が正解のものも、全員が出来ないものも、問題としてはダメな問題、意味が無い問題になってしまうんだ。特に、入試のように振り分けるためのものは。

 定期試験でも、中には簡単な、誰でも答えられるものもあるけれど、大方の問題で、先生は

「この大事なポイントを、理解しているかなー?」

ということで、かくれんぼじゃないけど、そのポイントが見つかりそうで見つかりにくいように、ヒントがゼロじゃだめだけど、すこしのヒントは埋め込まれていて、そこにあとちょっとしっかり考えたら、やっと答えがわかる、ギリギリのところを考えて問題を作っているだよ。それによって、生徒の理解度の違いが測れるんだ。」

「へえー。そうなんだ?」

「そうなんだよ。先生は、問題を作る時、「これは授業でしっかり言ったから、わかっているはずだよな。あ、でも、こいいう聞き方をしたら、あのことと関係があるってことは、すぐには分からないから、難しいかな」とか、かなり迷いつつ作っている。つまり、先生の方が、君らに、ものすごく気を使って考えているわけだ。

だから、問題を読んだら、単に、知識を思い出すのではなく、そんな先生の気遣いを、こっちもしっかり想像してみたら、先生が何を答えてほしいか、またどんな風に答えてほしいかも、わかってくるんだ。」

このような説明は、初めて耳にしたことだろう。きょとんとして、驚いたような顔つきだった。また、いい事を聞いたのかも知れないが、まだ活かし方が十分わからないから、有り難みのほどはわからない、といったところだろうか。

出題者の意図が大事だと分かったきかっけ

このような出題者の意図の背景を考えることの効用に私が気づいたのは、大学の講義で試験問題を作るようになってからだ。長男にはエラそうに説明したが、自分が中学生の頃など、全くわからなかった。中には、わかっていたヤツはいたかも知れないが、相当な秀才なんだろう。

でも、それに気づいてからは、その後、受けた各種の国家試験で、しっかりと勉強する時間がとれなくて知識面では不十分だった場合が少なくなかったが、たいてい、予想外に得点をとることが出来た(それがいいのかどうか別として)ので、自信を持って人に説明できたわけだ。

きっと悦にいった説明だったので、ちょっと長く(クドく)話しをしたのだろう、喉がかなり渇いてきた。そこで、長男に、

「パパは喉が渇いた。水を持ってきてくれ」と頼んだ。その後の顛末では、メタ認知が生活場面でも、意識せずとも出来ていたり、出来ていなかったりであった。次回に、それを紹介しよう。