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25年ぶりの地に一人で降り立ち新たな交流があったこと

25年ぶりの地

今年(2020年)の3月に私は沖縄に降り立った。
今年の吉方位がそっちらしかったのと、今年は海外旅行が出来なさそうな感じが始まっていたのと、念願の海底遺産を見るためだ。

旅はだいたい一人で行く。国内は単独旅行だが、海外は色々面倒くさいのでツアーに一人で参加する。周りがカップルだらけでも、ご年配の団体さんと一緒でも、特に私自身は気にすることなく一緒に行って、一人で行動している。

春に行った沖縄旅行は単独で行こうかと思ったが、仕事がちょっと忙しかったので、海底遺跡の予約とかプランを考えるのが面倒くさくなっていたのと、単独旅行は結局大きな荷物を自分でずっと管理しながら移動するのが大変だが、ツアーの場合は荷物はツアー会社が管理してくれるのが便利だと気付いたので、初の国内旅行ツアーに申し込んだ。

いろいろと情勢が変化する状況だったので、結局参加者はそれぞれお一人様の女性3人でのツアーとなった。

与那国島

羽田空港から那覇空港、石垣空港、与那国空港と乗り継いで、丸一日がかりで与那国島に着いた。与那国島は東経122°55′57″、東京は東経 139°41′30″だから17°の違いがある。経度15°で1時間の違いが出るから日没が遅かった。ホテルの西向きの窓から東シナ海へ沈む夕日が望めた。

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因みに今日(2020年12月27日)の与那国島の日の出、日の入りは
日の出時刻:07:30:11 AM
日の入時刻:06:08:07 PM

一方、東京の日の出、日の入りは
日の出時刻:06:49:41 AM
日の入時刻:04:35:07 PM

実に1時間半の遅いのだ。

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海底遺産

今回のメインの目的、海底遺産は1986年に島の南側海底に巨大な階段構造が発見され、その後も調査が続けられ次第に注目を集めるようになった。現在においてもこの遺構は、人工物なのか自然形成物なのか結論は出ておらず、遺跡が水没した年代も10世紀後半から11世紀前半にかけてと発表されているが、公的論文ではないため確定には至っていない。

しかし、いずれにせよ、古代史オタクの心をくすぐるには十分な代物だ。

本当は実際に潜って遺産を巡ってみたかったのだが、今回は半潜水艦での鑑賞を選択した。

集合時間の朝6時は東京ならもう明るいのだが、与那国では経度の関係でまだ真っ暗だった。ちょっとした異国感を味わいつつ半潜水艦が出向する久部良港へ向かった。

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(さすがに乗船時にはすでに明るい)

改めて言うが一人旅である。だから、船に乗っても自分で好きなように行動する。もちろん他の方々にご迷惑をおかけしない程度に。
なぜか整備品、構造などが気になる私は、船に乗り込み若干の波が荒いにもかかわらず、他の方々が大人しく席に座っていらっしゃるのにもかかわらず、あちこちを見て、しまいには船尾に仁王立ちして突き進む船が生み出す波に見惚れていた。脳内は「海よ~、俺の海よ~♪」である。

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船のエンジン音と波しぶきが少し治まってきたなと思ったら、船内アナウンスで海底遺産鑑賞のご案内が流れてきた。
乗客たちは船底に向かう。
左右の壁が窓となって眺めることが出来る。船長がアナウンスで色々と説明をしてくれた。

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一通り終わったら乗客はそのまま船底に残って見続けてもいいし、甲板に戻って水面を堪能してもいい。
一人二人と上へ戻っていき、最終的には自分一人となった。
誰にも気兼ねなく海底を満喫した。
再び言うが、一人旅は気兼ねなくて良い!

しばらくすると遺跡の端を越えたのだろう、船がスピードを上げて動き出した。そうなると窓から見える景色も泡立ち視界が不良になった。そこでやっと私も甲板に戻り帰港した。

一人だからこその自由

さて、私にとっての旅のメインイベントが終わってしまい、以降の旅のスケジュールを考えても、自分で一つ何かフックが欲しかった。

なので、海底遺産へ向かう前日のホテルに置いてあった観光ガイドをペラペラめくっていた。

すると、前日まで予約可能なナイトカヤックの広告が目に飛び込んできた。予約可能時間、終了まで後10分。これはすぐに予約しろと言う事だ!

(正直この店舗だったか定かでない)

早速電話し予約を取った。ホテルまでの送迎も可能だった。ありがたい。

「持ち物としてはビーチサンダルが必要ですが、無い場合はお貸しすることも出来ます。」
「貸してください。」
「持ち物は最小限でお願いします。」
「わかりました。服装とか注意する事ありますか?」
「夜はまだ寒いですがスェットスーツを着ていただきますので大丈夫だと思います。あ、スェットスーツを着るため、ズボンで来てくださいね。
「分かりました」

さて困った。普段ならパンツ主流の私だが、今回は珍しくスカートしか持ってきていない。旅のスケジュールを確認した。

・・・イケル。この時間帯でハーフパンツでもなんでもGetだ。

当日のスケジュールはこうだ。

16時頃 与那国島から石垣島へ移動
(ツアーとしては以降フリータイム)
----ここで店を探し出しハーフパンツ購入----
18時頃 ホテルに送迎車が来る

ホテルに売店が付いているような感じではなかったので、町へ繰り出し物色することに決めた。事前に店も目星をつけた。
ところがである。
なぜかこれという物が売っていない!
焦った。時間は刻々と迫っている。
観光客が土産を物色する中、目もくれずハーフパンツを求める女、私である。

どうにかこうにか、とある路地に店舗を構えた一点物の染め物を売っている店を見つけた。そしてよさげなパンツをGetした。
(店の名前は憶えていない)

そして、送迎車の時間に間に合った。

ナイトカヤックは楽しかった。素晴らしい夕日と星空と、二人ペアのカヤックだったため見知らぬ者同士で協力してまったりと時間を過ごせた。良かった・・・。

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思いがけない交流

ナイトカヤックを堪能してホテルへ送ってもらった。
ふと夕飯をどうしようかと思った
そこでホテル近くの歓楽街付近で下ろしてもらった。

歓楽街をぶらぶら歩く。もちろん行くあてはない。
店頭に出されたメニューや店の外観、中から聞こえてくる喧騒を頼りに店を選んでいった。

一軒の店に当たった。石垣牛を食べさせるようだ。中は割合静か。

入ってみるか。

店の扉を開けた。家族と思しき一組と観光客らしき女性3人組。そして奥に一人の男性が居て何か作業をしていた。
店の方だと思い声をかけるが応答なし。
すると、家族の中の男性が店の奥に声をかけた。
「お客さんだよ~」
出てきたのはまさかの西洋の方。しかもばっちりうちなーぐち。

聞くと奥で作業していた人は関係者だけとお店の人ではなく、たまにお店で仕事をしているだけの人だったようだ。

とりあえずお勧めを聞いて注文しお腹を満たした。

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食べているうちに観光客らしい女性陣は帰っていった。帰り際の会話から察するにここは割合知られた店だったようだ。
実際お肉も柔らかく、添えられた3種の塩も味わい深いものだった。

観光客が出て行って、家族連れと私だけになった。彼らは地元の方々で常連さんのようだ。店主も輪に交じって話に興じている。
気付けば奥にいた男性は仕事が終わったのか、いなくなっていた。

すっかり閉店後のような様相で、家族連れは勝手知ったるように厨房に出入りし、必要な飲み物を持ってくる。
小学生の子供がいたが、最近の学校の様子はどうだとか、今日は本当はカレーが食べたかったんだとか、和気あいあいとしていた。

私はと言えば、カウンターで聞くともなしにそれを聞き、お酒も回ってなんだか楽しい気分になっていた。

何がきっかけかは覚えていない。気付けばその家族の父親と店主と私の3人で杯を傾けていた。
子供は離れたところで宿題を始めていた。母親は何故か厨房で、さっきまで私が食べていたお皿を片付けている。

多分、私が昔沖縄に住んでいたことを話したのじゃないかと思う。西洋人の店主はドイツ人で本島の国際通りでお店をやっていたらしい。父親の方は石垣島で闘牛をやっているとのこと。


私自身の沖縄時代の話もしながら、店主の半生を興味深く聞き、父親が話す闘牛の世界に驚き、色んな話に面白がってワイワイやった。飲むと輪をかけて陽気になるのだ、私は。

閉店時間を1時間も過ぎた。父親が明日は早くから仕事だと言っていた。子供はいつの間にか寝ていた。

「そろそろ終わりにしようか。」

お会計をした。最初に注文したお肉とお酒の分しか請求されなかった。店主が「楽しい時間をくれたので僕がおごるよ」といった。
変に断っても粋じゃないし、お酒飲んで盛り上がっているし、「じゃ、また来た時にはもっと注文してもっと楽しもうね!」といってお言葉に甘えた。

あれから9か月。そんな出会いがあった今年が終わろうとしている。
またいつかきっと彼らに会うために沖縄に出向こうと思っている。

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#ここで飲むしあわせ

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