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リトビネンコ事件:元スパイ暗殺とその国際的影響 ①


【画像① アレクサンドル・リトビネンコ。病室にて。高濃度の放射性物質ポロニウム210により体調を崩している。】





ここのところ、我が国でも”スパイ事件か”と思わせるようなスキャンダルが頻発している。中国の自民党参院議員をも巻き込んだ「中国秘密交番」問題、週刊「女性セブン」やYouTube「古是三春_篠原常一郎」チャンネルで取り上げた秋篠宮側近に(そして、河野太郎デジタル相の側近にも)”粉かけた”東大大学院出身の中国女性によるトラップなどはそれらの一部だが、見えないところでは他国も絡んだ諜報活動が錯綜しているのは間違いない。


そういう中で、人身に関わる事態が発生することもある。2006年に発生した英国での元ロシア・スパイ、アレクサンドル・リトビネンコ暗殺事件などが典型例だ。


この間、美智子上皇后など皇族絡みの問題で英国の機密指定解除公文書を「インテリジェンス・ウェポン」チームは探索し続けてきたが、その余禄としてリトビネンコ事件に関する興味深いデータも探索できた。日本では報道されない、しかし、教訓的な内容を含んでいることもあり、この度、5回に分けてそれらに基づく事件考察をお届けすることにした。


事件の背景、リトビネンコの人物像、そして事件が持つ国際的な重要性について、日本では知られていない事実を踏まえてチームが共同作業で論立てて作成したレポートとなる。リトビネンコ事件は、明らかに国家(ロシア)主導の暗殺事件であるが、これがどのように国際政治に影響を与えるかを示す重要な事例といえる。執筆もチームが共同で行った労作である。



◆リトビネンコ事件:元スパイ暗殺とその国際的影響 ①






<リトビネンコ事件とは何か?>




【画像② リトビネンコ暗殺(早川書房 2007年6月25日 初版発行)の表紙。】





リトビネンコ事件は、2006年に発生したロシアの元連邦保安庁(FSB)職員であるアレクサンドル・リトビネンコの暗殺事件である。この事件は、単なる個人の暗殺に留まるものではなく、国際社会におけるロシアの政治的立場や、それが西側諸国の安全保障に対する新たな脅威となっていることを広く認識させるものとして受けとめられた。まず、リトビネンコの人物像、リトビネンコ事件の背景、事件が持つ国際的な重要性について考察してみよう。




<アレクサンドル・リトビネンコの人物像>





アレクサンドル・リトビネンコは、1962年に中部ロシア(ウクライナ国境寄り)のヴォロネジで生まれ、1980年代にソ連時代のKGBに入局した。彼はソ連崩壊後、そのままKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)に所属し、そこで主に組織犯罪やテロリズムに関する任務を担当した。しかし、1998年に上官からの命令に疑問を抱き、公然とその腐敗を告発したことにより、リトビネンコの運命は大きく変わることとなった。



リトビネンコは、FSBの高官たちが特定のビジネスマンの暗殺を命じたと主張し、この告発が彼の追放と収監に繋がった。釈放後、彼はロシアを離れてイギリスに亡命し、そこで彼の経験を基にロシア政府の内情を暴露する著作を発表した。リトビネンコの活動は、プーチン政権を厳しく批判するものであり、これが彼をロシア政府の標的とする要因となったと英国では見られている。




<事件の背景~チェチェン紛争>





リトビネンコ事件の背景には、ロシアの政治的な動向と、彼が抱えていた諜報活動に関する秘密が密接に関係している。リトビネンコは亡命後、MI6(イギリスの対外諜報機関)と協力関係にあり、ロシアの諜報活動に関する情報提供者、アドバイザーとしての役割を果たしていた。彼はまた、チェチェン独立運動やロシア政府の汚職に関する情報を公表し、プーチン政権の不正を告発する活動を続けていた。



【画像③ チェン・イチケリア共和国初代大領領ジョハル・ドゥダエフ。彼の側近曰くチェチェンを1つにまとめられるカリスマ的存在だった。ロシアの偵察機によって電話を傍受の上、位置を検知され、2発のレーザー誘導ミサイルによって暗殺された。享年52歳。】


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