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【書籍の宣伝】 私が選んだ「数論の3つの真珠」
数学に興味がある皆さん。あなたにとっての「真珠」は何ですか?
はじめにヒンチン(Khinchin)による『数論の3つの真珠』というタイトルの名著があります。
この本はヒンチンが数論(特に加法的整数論)の定理を3つ紹介するというもので、彼はそれらを「真珠」と呼んでいるのです。
いずれも真珠と呼ぶに相応しい、味わい深い定理達です。
それらの定理の主張を読み、その内容に思いを馳せてみる。それだけ
コラッツ予想の基本的なこと
この記事はテレンス・タオのブログ記事に書いてあるコラッツ予想に関する考察のうちの一部を勉強し, その理解をもとに日本語で自分なりに紹介するものです. コラッツ予想の難しさの1つの側面を知ることができます.
写像$${C\colon\mathbb{Z}_{>0}\to\mathbb{Z}_{>0}}$$を
$$
C(N)\coloneqq\begin{cases} N/2 & (N\in 2\m
ある凡人の数学者人生が始まるまで 18
大学生編 12008年の4月。いよいよ京都大学での生活が始まった。
片道1時間半以上かけて大阪の自宅から通っていて夕飯の時間には帰っているべきであったことと、学問に邁進しようと意気込んでいたことからサークル等には所属しないことにした。
通学時間を有効に利用しようと最初は思っていたものの、結局4年間電車ではほとんど寝ていた。
サークルには入っていなかったものの、一度だけ京大天文同好会KUALA
ある凡人の数学者人生が始まるまで 17
高校生編 7これから先何年生きることができるかはわからないが、自分の人生で間違いなく「好きな定理トップ5」には入るであろう定理に既に出会っている。
その定理に出会った日付がいつであるかは具体的には知られていないが、高校生の間であることは間違いない。
その定理の名は グリーン・タオの定理 である。
どうやら2019年9月に長さ27の素数等差数列
224584605939537911 + 81
ある凡人の数学者人生が始まるまで 16
人それぞれという当たり前の話人が数学を研究する理由は千差万別である。
皆が皆、数学が好きだから研究をしているとは限らない。使命を感じて数学を研究している人、数学が嫌いだが仕事だから仕方なく研究をしている人、別にやりたいわけではないけど生きていると呼吸をするかのようにいつの間にか次々と定理を証明してしまう人。
ここに書いた理由で数学を研究している人が本当にいるかはわからないが、人それぞれ様々な理
ある凡人の数学者人生が始まるまで 15
高校生編 6これから、大学受験時代について振り返っていこう。
志望校は「京都大学理学部」一択であった。記憶によれば高校一年生のはじめに親に「東京大学へ行きたい」と言ってみた。すると、「うちの家計では一人暮らしはさせられないから家から通えるところにしなさい」と言われた。京都大学は片道一時間半から二時間程度かかるが通うことが可能ということで、それ以来志望校は京都大学となった。
実は実家から大阪大学
ある凡人の数学者人生が始まるまで 14
高校生編 5 「二年生の間は音楽と数学に邁進する」という意気込みであったが、実際のところはその情熱の殆どを音楽に捧げたことになる。
数学もある程度は頑張っていたと思うが、数学オリンピックで勝ち進めるほどの対策は取れていなかった。
予選は年が明けてすぐにある。対策は不十分であったものの今の実力を出し切ろうという思いで挑戦した。
一年目のときよりは健闘することができ、なんとか予選を突破した。
ある凡人の数学者人生が始まるまで 13
高校生編 4 〜音楽フェスティバル〜二年生になって、一年生のときに成果を出せなかった「音フェス」と「数オリ」で今年こそは成果を出すんだと並々ならぬ情熱を持って音楽と数学に邁進した。大学受験へ向けた勉強は三年生になってからやればいい。二年生の間は音楽と数学以外は何もしなくていいと決めた。
オーケストラ部の部室は音楽室であり(より規模の大きい吹奏楽部はホール、あるいは外で練習していた)、三つの小部屋
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高校生編 3私の曖昧な記憶によれば、この音フェスの時期に東京出版の「大学への数学」を読み始めた。小学生の頃は父に「コロコロコミック」を毎月購入してもらっていたが、高校生になって今度は毎月「大学への数学」を購入して貰えた。とても感謝している。
余談だが、コロコロコミックには「月刊」と「別冊」があり、何ヶ月かに一回は父は間違えて「別冊」の方を買ってくるということがあった。「でんぢゃらすじーさん」が一
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高校生編 2ところで、中学時代はバスケ部であったが、私の身長は172cm程度であり、たまたまその中学では当時一番身長が高かった(すなわち全員低かった)のでセンターをしていたものの、高校バスケでこの身長でセンターがつとまるはずがない。だからと言って、今からポジションを変更するのもめんどくさかったので高校ではバスケ部には入らないことにした。
一方、中学時代に北野高校へオープンキャンパスで一度来ており
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高校生編 1高校生活が始まって何度か定期テストを受けて分かったが、やはり大阪府第一学区のトップ校、周りは皆かしこかった。数学塾に通った成果もあって全教科高得点をとれた中学時代とは打って変わり、得意科目と苦手科目とに大きく分かれることになった。
得意科目=数学。それ以外は全て苦手。
文系科目は大体学年最下位レベルをキープすることとなる。一方、数学は基本的に学年一位であった。
中学時代の塾の先生
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中学生編 4ここで、中学生という多感な時期に私の心を奪ったもう一つの存在、
ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin)
について語りたい。
ある日、母に連れられて映画「戦場のピアニスト」を映画館で観た。Wikipediaで調べると公開日は2003年2月15日とあるため、中学一年生の後半から中学二年生のある時期に観たと思われる。
映画の中でピアニストである主人公がドイツ
ある凡人の数学者人生が始まるまで 8
中学生編 3 〜数学を志すきっかけとなる本との出会い〜数学に興味を持ち始めた私は紀伊国屋書店に行っては数学コーナーの書籍のタイトルを眺めるようになった。
ある日、私は一冊の本と運命の出会いを果たす。
サイモン・シン著、青木薫訳、『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』、新潮社、2000年。
最終定理
その中二病的な四字熟語の響きに、当時中三の私はこの本を買わず
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中学生編 2この塾は私に決定的な影響を与えてくれた。割とスパルタ的ではあったが、繰り返し問題を解くことによって中学数学が以前よりも分かるようになった。
そして、数学が楽しいということを知った。
最も私の情熱に火を付けたのは「帰宅問題」の存在である。
「帰宅問題」とはその日の授業終わりに問題が出題され、それを解けないと帰れないというイベントのことである。帰宅問題にはA問題とB問題があり、B問題
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中学生編 1地元の公立中学であるS中学校に進学した。実は父が通っていた中学校と同じである。
バスケ部に入った。バスケが中学校生活の中心であった。ポジションはセンターで、自分たちの代になってからは背番号は5番であった。市内の別の中学の5番、S君をライバル視していた。
池田市は鳥取県の青谷町(現在は鳥取市)と姉妹都市の関係にあり、毎年「池田選抜 vs 青谷中学」が開催された。私は無事選抜され、5番