何もできない
ここ数週間悩まされていたそわそわする感覚から解放された。
医者曰くこれはアカシジア(静座不能症)という副作用だったそうで、原因と考えられる薬を減らして副作用止めの薬を飲んだことで一応の解決をみた。
自分の感覚としては以前アカシジアになったときより精神的な症状である気がしたため、また別の問題であると考えていた。
この症状は数週間のうちに昼夜を問わず何度か出現し、精神が駆り立てられ、心が強制的に浮足立ち、結果として何かをせずにはいられないような状態であった。このなんとも言えない緊張感や焦燥感は思い出すだけでもおぞましく、不快なものだ。見る者によっては躁状態のようにやや行動的にもなり、無駄な動作の繰り返しや向こう見ずな行動が増えた。
医者の話では、アカシジアはそうした精神が駆り立てられるような症状も含むらしい。また事実として身体を常に動かしていたわけだから、結果だけを見ればアカシジアそのものとも言えるかもしれない。
この症状の最も恐ろしいところは、これがうつ病の何もできない期間と重なることである。何もできないのに、何かをしなければとそわそわし続けるのは拷問にも等しく、傍から見ていても手のつけようがなかっただろう。家族や友人に何度もこの苦痛を訴えては煩悶したものだ。
しかし今となっては症状も落ち着き、ほとんどその名残は見られない。だが依然として「何もできない」という問題は残る。
何もできないというのは具体的にどのような状態かというと、これは2つの特徴に表される。1つは集中力の欠如である。本を読もうとしても10分も経たずして閉じてしまい、ピアノの練習も難しいフレーズに数回挑戦しただけで音を上げてしまう。
もう1つは意欲や興味・関心の欠如だ。何かしなければと思いつつも、そもそも何もする気が起きない。何もせずにいる状態では悲観的な思考が頭を巡るため何かをして気を紛らわせたいが、どうにもならない。この矛盾した状況の中で苦しみ続けている。
ただここで一点だけ気づくことがある。それは「何もできない」ということとその苦しみをこうして訴えることはできるということである。これは一見して二律背反のようだが、「何もできない」というのは何も「たいしたことは」できないという意味だととってもらいたい。しかし現況を脱するためには、この辺りに光明がある気もする。
何もできないことを意味する言葉を考えている。「全能」という意味のラテン語に"omnipotens"というのがある。その対義語として"nihilopotens"というのはどうだろうか。ただ何もできないだけだが、なんだか格調高い響きになる。
このように益体もないことを考えては、何をも為さずに日が暮れていく。本質的な問題は、大学を中退したとかニートであるとかそういったことではなく、この無気力にこそあるのだろう。そうはいっても、そもそも何もできないのであるから、何も解決策を講じることができない。こうしてゆっくり終わっていくだけの運命なのかもしれない。
来週から新たな抗うつ薬を追加して処方されるらしい。
これが意欲の低下に効くことを祈るばかりだ。