サンタの本質
ご機嫌よう。
願くば、永遠の美貌が欲しいサキです。
Xmas。それは小学校低学年以下の子供がいる家庭では、避けて通れない年間イベントの一つ。そして、「サンタは存在しない、親がプレゼントを用意している」疑惑を必ずどこかの時点でクリアしなければならないもの(それがガチの直接対決か、ふんわりフェードアウトかは家庭に寄る)。
ですが、私の中で明快な答えを導いたので、皆さんに共有したいと思います。
ちなみに、我が家の娘(小四)はまだサンタクロースを信じています。それには理由があって、昔「サンタアプリ」を使っていたことが大きいような。もう削除したのでアプリの名前を覚えていないけど、予め設定しておけば、時間通りにサンタから電話がかかってくるというもので、子供の名前の設定も可能。もちろん電話は英語で、色々なパターンが用意されている。適度な間合いを生かしつつ、英語で受け答えをしていると、それはまあ自然にサンタとの会話が成立するのです。娘にも簡単な英語(Thank you !とか)を言わせたりしてね。思えば事前練習までして、よくそんなことしてたな私。
そんな娘だけれど、いつかは(きっと近いうちに)真実を話す時はくるでしょう。なので予行練習をここに記録しておこう。
「サンタは存在しない。親がプレゼントを用意している」
これは厳密にいえば間違い。
いいですか。まず、そもそもフィンランドのサンタクロースのおじいちゃんがいて、世界中の子供達のリクエストを事前に把握して、その国のおもちゃを用意し、一夜のうちに届ける。物理的にそれは不可能です。うちのマンションの子供達に配るだけでも、相当リスクが高い。相手はご高齢のおじいちゃんだよ?。ルパン三世でも無理でしょう(知らんか)。例えば東京、いや世田谷区だけ、と限定しても無理。それくらいはわかるね?
更にいうと、当日では飽き足らず、昨今は大人も子供も12月前半からイベントとか、老体のサンタ爺をフィンランドから呼び寄せて、写真撮影なんて、どう考えても年配者を労わる気持ちが全くない。寝る時間さえないじゃん。虐待だよ。似たようなおじいちゃん集めて、代わりにやってもらったとしても全然間に合わないよ。本業、できるわけない。
更に言うと、どんなにお金持ちでも流石に世界中の子ども達にプレゼントを贈るのは、金銭的にも無理。
「だからサンタいないじゃん!」
まあちょっと落ち着きなさい。
見てわかると思うけど、サンタのおじいちゃんの絵。あれね、随分前の人なの。あるところに、お金がなくて、もう明日には子供を売らないと生きていけないという家があった。それを知ったキリスト教を伝える偉い人(司教)が、何かできないかって、考えた。司教は煙突から金貨を投げ入れて、暖炉のそばにかけてあった靴下に入った。その金貨によって子供を売らなくて済んだという話。だから靴下を吊るすの。
まあ、煙突に金貨いれたら真っ黒になると思うし、
この話はちょっと盛ってるなとママは思うけど、その親に気を遣わせないように「そういうことにしといて」って言ったんだろうね。
とにかくそれが初代サンタのおじいさん。
「初代」
ね。
瞬く間に広がったこの話は広がり、それを聞いたおじいちゃん達がすごく感動したんだって。「自分のちょっとした行為で誰かを幸せにできるんだ」って。翌年、自分も困っていそうな家庭にプレゼントを、とじいちゃん達は動こうとした。だけど当然ながら、「もうおじいちゃん、年なんだから、そんなことしちゃダメよ!」と家族の猛反対にあった。しょんぼりするおじいちゃんに「しょうがないな、だったら俺がやってやるよ」と筋肉ムキムキな(これはママの想像だけど)お父さん達がおじいちゃんの代わりに、仮装してプレゼントをあげることにしたんだ。これはもちろん子供達にすごく喜ばれて、「日本でも!」「真夏のオーストラリアでも!」と色々な国に広がっていった。
でもね、何か大きな事をたくさんの人でするには、ちゃんとシステムやルールを構築しなければいけない。だから、世界中の子供達に一夜でプレゼントを配るために、「サンタ協会」というのができた。子供が産まれると自動的に親はその会員になるの。学校のPTAと同じ。任意と言っても任意じゃないやつ。サンタ協会に入ってるママがサンタの代理でプレゼントの購入から設置まで請け負ってる。
ソリ?ああ、それはね、色々な国とか遠くまで広がっちゃうとさ、「さすがに歩いてきたよ」って説得力がないから、雪国らしくソリにしよう。ってなったの。ずいぶん昔にできた協会だからね、飛行機とかそういった技術がなかったから、原始的にソリ。というかね、この話に現代技術を加えちゃうとさ、「わざわざ海外からこなくても、ネットでポチッとオーダーしたらいいんじゃない?」とか現実的になっちゃうからさ。だからソリ。
「やっぱり、ママじゃん!!!嘘つき!!」
まあ落ち着いて。なんていったらいいかな。そう、あなたが好きなベビースターラーメン。おいしいよね。あれさ、その会社の社長が思いついて作ったんだと思うけど、もしその社長がなくなったら、この世からベビースターラーメンなくなるの?なくならないよね?その精神を受け継ぐ人がいて、その想いをずっと継承する。神様と一緒。イエス・キリストも一回死んで復活したりしてるけど、もうこの世にはいないし、仏陀も同じ。この地球で姿形を残したまま、ずっと生き続ける人はいない。だけどどう?たくさんの人がキリスト教を信じてるし、神社仏閣に行って、健康や平和を神様に願うでしょ?神様は目に見えないけど、それぞれの人の心にいるわけでしょ? イエスも仏陀もなくなったあとに、弟子達がその想いを本にしたり、人に話したりして、今でも生き続けてるんだよ。実際目の前にいなくても、何かを信じることで人間はものすごく力を出せたりするの。
でね。ただ「プレゼントをあげる日」なんだったら、「サンタがくるよ」なんて壮大な嘘をつかなくていいって思うでしょ?最初からママが手渡しすればいいって。でも、意味があるんだよ。
クリスマスというのは「家族以外の人も自分の事を想ってくれてると感じる日」ってママは思うの。親が子供を愛するのは当然のこと。ママからプレゼントもらっても、特別に不思議なことじゃないでしょうよ。ママもパパもいつでもあなたのことを想ってるわけだし。
でも本当はママ達だけじゃなくて、たくさんの周りの人からたくさんの愛をちょっぴりずつもらってて、それであなたは生きてるの。プレゼントをもらうってことじゃないよ、ほら、夏に水筒忘れてスイミングいって、喉が渇いて困ったって言ってたでしょ?受付のお姉さんが水を買ってくれたのは、サンタさんの精神がちゃんと根付いてるからだよ。
たくさんの人に守られて、愛を受けてる。そのことを忘れないでね
って伝えるために、サンタさんという初代のイメージを使ってるの。小さい子供は、こんな難しいことを言ってもわからないよね。だからわかりやすく、「サンタさんがくるよ」って伝えてる。
「サンタはいなくてママやパパがやってる」って気がつけるということは、自分が色んな人に愛を与えられてることにも気がつけるはず。そして、あなたがもうちょっと大人になったら、自分以外の人のために何かできないかって考えて行動したらいい。もう十分に初代サンタの気持ちはわかっただろうからね。
でもママは、それでもしばらくあなたにクリスマスプレゼントを渡そうと思うよ。誰かに愛を注ごう、なんてそんなこと毎日思えないけど、このクリスマスの日はその大切さを思い出してほしいからね。
サンタクロースという人はもうこの世にはいない。
だけど、サンタクロースという他者を愛する「概念」はこれからもずっとずっと続く。サンタクロースは愛の形だからね。
だから、サンタクロースは「いる」じゃなく「有る」んだよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?