銀座無双、今日も優雅に無敗です 〜空港編「香港行きの出張命令」5〜
【セシル戻ってくる】
カム・チョウロンが立ち去った後、ジョージは再び紅茶に手を伸ばした。
カップが口元に触れる瞬間、セシルが慌てた様子で戻ってくる。
「ジョージさん! あの人、知り合いですか?」
ジョージは、何でもないことのように答えた。
「いえ、たった今お別れしたばかりです。」
「……お別れ?」
セシルは困惑した顔をして、立ち去るチョウロンの背中を見つめた。
「なんか、ただならぬ雰囲気でしたけど……まさか揉め事じゃないですよね?」
ジョージは軽く肩をすくめた。
「揉め事? まさか。
少々、“夜明け”について語り合っただけです。」
セシルは、ジョージの言葉に眉をひそめる。
「夜明け……? なんですか、それ?」
「気にしなくていい。君には関係のない話だ。」
セシルは不満げに口を尖らせながら、ジョージの隣に座った。
「それより、アップグレードの件、交渉してきましたよ!」
ジョージは、カップを置き、セシルに視線を向けた。
「ほう。それで、結果は?」
セシルは、バツが悪そうに視線を逸らしながら答えた。
「……できませんでした。」
ジョージはため息をつき、ゆっくりとスーツの袖口を整えた。
「当然でしょうね。」
「えっ?」
「君のような男が、アップグレードを頼んでも、誰も信用しないということです。」
「そこまで言いますか?」
ジョージは、ほんの少し笑みを浮かべた。
「しかし、安心しなさい。君が座る場所は、どこだろうと“場違い”に見える。
アップグレードしても、しなくても同じことです。」
セシルは頭を抱え、項垂れた。
「……それ、慰めになってませんから。」
【シーン:搭乗ゲートへ】
搭乗アナウンスが流れ始めた。
ジョージはゆったりと立ち上がり、スーツケースのハンドルを引き出した。
セシルも慌てて荷物を掴むが、その動きはどこかぎこちない。
「ジョージさん、行きましょう。」
「君が言わなくても分かっていますよ。」
ジョージは淡々と答えながら、空港の案内板に目を向けた。
搭乗ゲートは34番。
少し距離があるようだ。
「……まったく。なぜ空港のゲートというのは、いつも遠い場所にあるのでしょうね。」
「それ、僕も思います! いつも最後に“歩かされる”感じ、なんなんですかね?」
ジョージはスーツケースを軽く転がしながら、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「考えてみなさい、セシル君。飛行機に乗るというのは、いわば“旅立ち”です。
旅立つ者に、簡単な道のりを用意すると思いますか?」
「……どういうことです?」
「人は、必ず少し“苦労”をしてから旅に出る。そうしなければ、旅の意味が薄れるのです。」
セシルは少し考えた後、苦笑した。
「つまり……飛行機に乗る前に、歩かされるのも儀式みたいなものってことですか?」
「そういうことです。」
ジョージは、スーツケースを片手で操りながら、足取り軽く歩き出した。
【空港トラブル:セシルの“無駄に大きな荷物”】
しばらく歩いたところで、セシルが突然立ち止まった。
「……あれ?」
「どうしました?」
「僕の荷物、なんか……サイズオーバーっぽくないですか?」
ジョージは振り返り、セシルのスーツケースを見た。
どう見ても、機内持ち込みのサイズを超えている。
「セシル君、それは明らかに大きすぎますね。」
「……ですよね。」
「どうしてそんな荷物を?」
セシルはバツが悪そうに笑った。
「いや、念のため、何でも持ってこようと思って……。」
ジョージは、ため息をつきながら言った。
「念のために持ってきたのはいい。しかし、念のための知恵が足りなかったようですね。」
セシルは慌てて荷物の中身を確認し始めた。
「いや、でもほら、予備のシャツとか、靴とか……いろいろ必要じゃないですか?」
ジョージは、彼の様子をじっと見ていたが、やがて冷静に指摘した。
「靴が3足も必要だと思ったのですか?」
「え、でも……」
「君のような男が、履き替える必要があるのは**“キャラ”くらいです**。」
セシルは頭を抱えた。
「……それ、痛いところ突きますね。」
【過去の旅行の話:アイリの“無駄に豪華な旅行”】
歩きながら、セシルはふと思い出したように言った。
「そういえば……ジョージさんって、家族旅行とか行くんですか?」
「行かなくはないですね。」
「じゃあ、アイリさんとは? どんな旅行をしたんですか?」
ジョージは、少し考え込んだ後、淡々と答えた。
「ひどいものでしたよ。」
「え?」
「アイリは、旅先でも無駄に豪華なものばかり求めるんです。
パリに行った時など、わざわざエッフェル塔の前でフルコースのディナーを要求しました。」
「エッフェル塔の前で?」
「ええ。しかも、シャンパンを浴びるほど飲みたいとね。」
セシルは吹き出しそうになりながら言った。
「それ、本当ですか?」
「本当ですとも。あれが、私の妹の“美学”なんです。無駄こそが、彼女にとっての贅沢なのですよ。」
セシルは感心したように頷いた。
「いや、すごいですね……さすが白洲家。」
ジョージは、軽く笑いながらこう言った。
「彼女に言わせれば、**“旅はエピソードを買う行為”**だそうです。」
「エピソード?」
「ええ。旅先で、どれだけ“語れる話”を手に入れるか。それが、彼女にとっての価値なんですよ。」
【ゲート到着:セシルの報告】
ようやく搭乗ゲートに到着した。
ジョージは、スーツケースを足元に置き、搭乗券を取り出した。
セシルも、スーツケースを引きながら報告した。
「ジョージさん……やっぱり、僕の荷物は預けるしかなさそうです。」
ジョージは、無表情のまま頷いた。
「でしょうね。」
「なんか……空港って難しいですよね。」
ジョージは、ふと微笑んだ。
「君のような男にとって、空港は一種の“迷宮”です。
しかし、君が迷っている間に——私は目的地に着くのですよ。」
セシルは、ジョージの言葉に苦笑しながら言った。
「いや、ほんと、言うことがいちいち厳しい……。」
ジョージは軽く肩をすくめた。
「優雅な旅というのは、“不要な荷物”を捨てることから始まるのです。」
そして、彼は搭乗ゲートへと向かって歩き出した。
【エピローグ:夜明けの光】
飛行機は静かに高度を上げ、安定飛行に入った。
ジョージは、窓の外に広がる夜空を眺めている。
隣の席から、ゆっくりとした寝息が聞こえてきた。
セシル・アンダーソンは、座席に沈み込むように眠り込んでいる。
ジョージは、わずかに首を傾けて隣を見やった。
「……窓際がいいと、あれだけゴネたくせに。」
苦笑交じりに呟くと、軽く肩をすくめた。
結局、窓際の席に座ったのはジョージだった。
セシルは、離陸前にさっさと眠りに落ちてしまったのだ。
ジョージは視線を再び窓の外に戻した。
暗闇の向こうに、夜明けの兆しが見え始めている。
柔らかな光が、地平線を少しずつ照らし、空の色が変わっていく。
その光景を、ジョージは一言も発さずに見つめていた。
グラスに残った赤ワインを飲み干し、彼は静かに窓に映る自分の姿を見た。
そこには、いつもの皮肉も嫌味もない、穏やかな表情が浮かんでいた。
夜明けは静かに訪れるものだ。
ジョージは小さく微笑み、再び目を閉じた。
隣では、セシルの寝息が、なおも続いていた。