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考えるだけが正義じゃない。


思考の行き着く先は際限なく、哲学というものも自己理解の一端を担う以外は苦しいだけなのだろう。全てに対して問いがたてられるのだから。

考えることを大事にしてきたはずだ。

何も考えないのはどうしようもないやつだと思っていた。

日々の感情も、仕事に対しての疑問も、どう感じているか、考えていない奴には哀れみさえ感じていた。

なんでそんな能天気に生きれるんだ。

ただの嫉妬である。

これが俺だと認められる強さと、わからないけどやっているという謎の自信を持っている人を見て、

勝てないと思った。

どこからでてくるんだ。

思考が先に始まる自分には、どうしようもなく羨ましく、近しく無い人はいるだけで不快であり、望んでいることは確かだった。

あぁあんまり考えこまずに生きたいな。


それを羨ましがりつつも、性分では無理な話で、この際限ない思考を繰り返すのが目に見えている。付き合ってかなければいけない。


大学の時はこんな感じではなかった。

海に囲まれ、気の向くままに、サッカーとバーベキューと七輪と、明日のことなんて明日にならないとわからない、自分の感覚のまま生きていた。自分という存在の確立が自他ともにできていたと思う。それは狭い世界での居場所の確立ができていたからだろう。ただ厄介なことに今はその生活の仕方は嫌いなのだ。


社会に出て狭い世界は嫌だと、消防を辞め、世間に身を投げ出し、活躍している人たちを見ると、比較してうずくまりたくなる。



今は自分の価値観の再構築の時期なのかもしれない。


なんだかなぁ

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すずきけんた
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