[雑記] 承・スポーツの秋?
の続き。
そもそも秋に限らず1年中いつでもスポーツした方がよいのです。
スポーツと言うと、野球とかサッカーとかなぜか球技ばかりが連想される気がしますが、これも学校の体育という教育の弊害。
スポーツとは、身体を動かす気晴らしです。気分が晴れるなら散歩でもマラソンでも水泳でも、パワハラ上司に見立てたサンドバックを殴りまくる😎でも、なんでもいいんです。釣りなんかもいいかもしれませんね、晩飯のおかずも調達できて一石二鳥。
なぜ1年中した方が良いかと言えば、健康な身体を維持するために必要なのは、
だからです。
正論。間違いない。昔からそう。玄米を食べて原野を駆け回った徳川家康が75歳まで生きたのに対し、孫の徳川家光は江戸城で引きこもり生活して50歳になる前に死んでいます。家光みたいな生き方でなく、家康みたいな生き方をすれば(別に戦場を駆け回る必要はない)、健康で長生きできる。
間違いないのはわかっているのに、みんなができるわけじゃない。やせ薬(肥満症治療薬)とか飲んでなんとかしようとしたりする。🤣
長い進化の歴史の大部分を飢えとの戦いで過ごしてきた人類の身体と脳みそは、いかにエネルギーを使わずに済ませるか、ひとたび食べ物を見つけたら限界まで食いだめるにはどうすればいいか、ということに腐心して進化してきたので(別に意図してそうしたわけではないでしょうが、そういう身体と脳を持った者が結果的に生き残りやすかった)、現代日本で本能(煩悩?)のままに生きたら、そりゃ糖尿病になるでしょう。美味しい食べ物があふれていて、自動車や電車を使えば少ないカロリー消費で信じられないほど長距離移動できちゃうのですから。
で、いざ、糖尿病とかになって病院に行った日には、お医者に「食事はこれこれしなさい、運動はこれこれしなさい。食事と運動でしか治りません、そういうモンなんだから、黙って言うこと聞きなさい。言うこときかないと死ぬからね。」とか上から目線で言われるんです(ぜんぶ、私の想像ですけど😆)。そりゃイヤになるでしょう。人間、納得できないことを長期間にわたって継続することはできないものです。
学校の体育がダイキライで身体を動かすことすら忌避していた私が宗旨替えして「運動、だいじ」と言い出したキッカケは、皮肉にも学校の授業。学校は学校でも大学。
大学にも体育っぽい授業はあって。
一般教養課程にスポーツ実習とか健康科学とかありました。私が受講したのは健康科学。座学です。なにしろ体育がキライだったので、スポーツ実習を履修する気はハナからない😎。
それはともかく、健康科学の講義のポイントは、
運動して心臓を鍛えると、心臓が1回の脈動で送り出せる血液量が増えるため、ふだんの心拍数が下がる。
一生の間に使える心拍数は決まっているので、心拍が少ない方が長生きできる。
忙しいと言って運動しない人がいるが、アメリカの大統領だって毎日ランニングしている。アメリカの大統領より忙しいってどういうこと?
担当の教官がなかなかおもしろい人で、これをコミカルに語ってくれました。鍛えていない心臓の脈動を、ぱふ、ぱふ、と表現して。🤣🤣🤣
健康的な食事はもちろんだいじだけれど、それだけだと心臓は鍛えられないので。
適度に運動して心臓を鍛えましょう。
もちろん、プロのスポーツ選手じゃないので、「気晴らし」の程度でいいんです。むしろ義務みたいになって嫌々やるのは続かないので。「気晴らし」になる程度であることが、とてもだいじ。
Let’s enjoy the autumn season!