ずっと着たかった服を、着よう。 [おしゃれマダムの説教と5歳児が考えるおしゃれの話]
願わくは、この記事が服装に悩むたくさんの人に届きますように。
- 「そんな退屈な服を着て、死ぬつもりなの?」 -
以前、海外の随分と年季の入ったブティックに立ち寄った際、小洒落た店主からそう尋ねられたことがありました。
わたしがファッションとの向き合い方を変えるきっかけになった出来事です。
忘れもしないグレイヘアにベレー帽、サテン生地のスカーフを首に巻いて、ショッキングピンクのテーラードを羽織った彼女(齢70と推測)からすれば、当時のわたしの服装は幾分か“退屈”に見えたことでしょう。
「そんな退屈な服を着て、死ぬつもりなの?」という部分だけを切り取るのは印象操作であり、その前後にはいくつかのやりとりがあります。
わたしが、彼女の独創的なスタイリングに見惚れて「あなたの個性的でおしゃれなスタイルのインスピレーションはどこから来ているのですか?」と質問したのに対し、彼女は「ファッションは自分らしく生きるためのツールよ。着たいものを着ているの。そんな退屈な服を着て、死ぬつもりなの? NO!」と。
帯同いただいたガイドの方が薄笑いでそう通訳してくださったので、どこまで本意に即しているかは未だにわかっていません。
(NO!くらいしか聞き取れていないので…)
しかし、今振り返ることで、ようやくわかったこともあります。
それは“退屈な服”というのが、単に地味な服という意味ではなく、“自分らしさに欠けた汎用な服”のことを指していたということです。
5歳の子供が描いた“おしゃれ”な服
この写真はわたしの知り合いのお子さん(5歳の女の子)が描いた絵です。
お絵描きをして遊んでいるときにわたしから「〇〇ちゃんが、おしゃれと思う服装を描いてみて!」とお願いして描いてもらいました(笑)。
ハートが印象的な赤いトップスに、キャンディの柄があしらわれたブルーのスカート。一言でいえば、とても派手。
しかし、これが5歳の女の子が“おしゃれ”だと思うコーディネートです。
この絵を見たときに、わたしはハッとしました。
それは我々が大人になるにつれて、純粋な子供の頃に“おしゃれ”だと思っていたものに対して、社会性というモヤがかかっていることに気づかされたからです。
なにも子供の頃の価値観がそのままであるべきだ、とは思いませんが、大人になるにつれて「こういう服を着るべきだ」とか「こういう服が流行している」とか、自分とは切り離された外側の社会(モヤ)によって、わたし達が純粋に心動かされる“おしゃれ”の形が変化します。
だからこそ、この絵を一目見た際に「派手だ」で片付けてしまいました。
繰り返しますが、成長するにつれて価値観が変化することは一向に構いません。むしろ、自然です。
しかし、その“おしゃれ”に対する価値観の変化が本当に自分自身の感情によるものなのかは一度疑ってみるべきです。
「ハートやキャンディが描かれた原色の服は派手で着れない!」と言ってしまうのは簡単ですが、では、今着ているその服やクローゼットに収納されている服は、本当にあなたにとっての“おしゃれ”なのか。
胸に手を当てて問いかけてみてください。
このままでは、誰かにとっての“おしゃれ”をただ漫然と着ているだけかもしれません。
人は誰でも、いつからだって“おしゃれ”になれる
ファッション業界で右往左往しているわたしが、現時点でたどり着いている“おしゃれ”の正体は、“自分らしさ”のことです。
YouTuberやインスタグラマーが「買わないと損!ベストバイ5選」と称して紹介する服が、本当にあなたにとってのベストバイでしょうか。
骨格診断やパーソナルカラー診断は、あなたにとって本当に好みのスタイルを提案してくれるのでしょうか。
あるいは、SNSでたくさんいいねされていることを理由に、頻繁に表示される服装はあなたにとっておしゃれだといえるでしょうか。
そんなものは一旦脇に置いて、5歳のあなたが描いた“おしゃれ”を創造してください。ファッションは自分らしく生きるためのツールにすぎません。
あの日、ブティックで出会った老婦がいった“退屈な服”を今脱ぎ捨てて
ずっと着たかった服を、着よう。
その時、その服にあなたらしさが宿り、本当の“おしゃれ”が見えてくるはずです。
あなたの人生が、おしゃれと共にあらんことを。
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