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ファッショントレンドやパーソナルカラーって、そんなに大事なんだっけ?[ファッションリベラルアーツvol.19]

いきなりですが、ファッショントレンドやパーソナルカラーって、そんなに大事なんですっけ?
リアル店舗で服を買っていると、ショップスタッフの方から「今こういうアイテムがトレンドなんですよ」と声をかけられることがしばしばあります。
または、情報番組で季節の変わり目に「今シーズンのトレンド」が紹介されていたり。YouTubeで検索をかければ【トレンド解説】が山のように出てきたり。雑誌の表紙にもトレンドを強調するような煽り文句が載っていたり。

わたしたちの衣生活を取り囲む、メディアや市場には“トレンド”の4文字がひしめき合っています。現に、わたし自身もトレンドを題材にした記事を当ブログで幾つか投稿しています。(これとか)

たしかにファッションを楽しむ上で“トレンド”は一定以上の意味を持ちます。その時々でどんな着こなしやアイテムが流行しているかを押さえてコーディネートを組んだり、買い物したりする楽しさは他では味わえません。
しかし、あくまで誤解しないでいただきたい点はそれが社会という個人から切り離された外部的な“トレンド”に過ぎないということです。

「トレンド(trend)」の語源は【転がる】を意味する、古英語の「trendan」だとされています。
流行、傾向などと訳される「トレンド(trend)」ですから、その様子がまるで「物事が転がっているようなもの」ということなのでしょう。注目していただきたいのは【転がる】という主体性や偶発性を感じさせる表現であることです。
しかし、どうでしょう。その言い回しとは裏腹に、昨今の“トレンド”はまるで【転がされている】ようではありませんか。

【転がされている】ような潮流は、特定のメディアや個人によるものというよりも社会全体が過剰なまでに“トレンド”を偏重し、“トレンド”であることを美徳とし、“トレンド”を解説していることに起因しているのだと思います。
それすらもトレンドなのだ、と言われればどうしようもないのですが、その行く末がファッションをこれまで(あるいは今)以上に面白くするとはあまり思えません。

「夏はトマトが旬なんですよ〜」といくら正しい解説をされても、季節外れのリンゴやミカンを食べたい時だってある。トマトが苦手な人がいてもいい。トレンドも本来同じはずです。

“トレンド”とされているものに向かって「転がされる」のではなく、あくまで自分が「転がる」先にあるものが“トレンド”という認識をわたしは提唱したいです。
オンライン/オフライン問わず、様々な媒体で「トレンド漬け」になっている現代的な感覚からすれば、少々共感しにくいかもしれません。

しかし、はっきりと断言できるのは“時代遅れ”と冠して、不安を煽りながらトレンド解説をするのはあまりに本質的でないということです。
「冬はトマトの旬ではないので、リンゴを食べるべきです!」って、トマトを好きで冬に食べている人にあまりに失礼。あるいは旬にこだわっていない人にとって、どんな得のある発信なんですか?
こういう無責任な発信の一々が「ファッションに苦手意識を持つ人」をうんでしまっているのでは…(業界に対する愚痴っぽくなってしまったのでここまでにします)。

とかく、“トレンド”や“パーソナルカラー”や“骨格診断”等、自分の外側の指標を当てにし過ぎず、個人による直感でファッションを楽しむ主体性や偶発性も大切にしたいなと思います。そして、わたしはそれも含めて“トレンド”と呼びたいです。


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