ユニクロは問題解決。バレンシアガは問題提起。[ファッションリベラルアーツvol.02]
同じアパレル業界の中で、同じように衣服を取り扱うユニクロとバレンシアガ。
1990円でTシャツを販売するユニクロに対し、86900円でTシャツを販売するバレンシアガ。
3990円でスラックスを販売するユニクロに対し、190300円でスラックスを販売するバレンシアガ。
12900円でコートを販売するユニクロに対し、847000円でコートを販売するバレンシアガ。
全く同じ「着る」という「機能」を販売する両者に、なぜここまでの価格差が生じ、それが成立しているのでしょうか。
今回はグラフィックデザイナー ジョン・マエダ氏による指摘、
をヒントに、ユニクロとバレンシアガの両者を大きく隔てている“クリエーションの本質”について考えていきたいと思います。
Ⅰ. バレンシアガは何故、小学生の運動靴を売るのか。
バレンシアガの代表的なスニーカーのひとつ“3XL”に対し「小学生の運動靴?」とX(旧Twitter)に書き込まれ、話題になりました。
3XLのボロボロのデザインがまるで小学生が履き潰した運動靴のように見えることからこのような揶揄ともとれるポストが投稿されました。
記憶に新しいという方も多いでしょう。
この発言自体の是非はさておき、注目すべきはそのコメント欄です。
「こんなボロボロの靴に15万円かー」「え?これが新品?」「ダサい」等……スニーカーのデザインとその値段に対する批判的なコメントが溢れ返り、物議を醸しました。
これらの批判は全て、直感的には的を得ているように思えます。
こんなボロボロの靴に15万円を払う感覚は間違いなくおかしいし、新品には到底見えません。見る人によっては、たしかにダサいとしか言いようがないでしょう。
しかし、この認識はバレンシアガないしはバレンシアガのクリエーションを表層的にのみ“知覚”した感想に過ぎません。
当ブログは“ファッションリベラルアーツ”の視点に立脚することでファッションやクリエーションを真に理解することを目的としています。
では、主題ともいえる「バレンシアガは何故、小学生の運動靴を売るのか。」の答え合わせをしましょう。その答えは、極めて簡単です。
「社会に対して問題提起をするために、批判をあえてクリエーションに落とし込んでいるから」
批判を集めたスニーカーも、ファッション界を牽引するブランド“バレンシアガ”のデザイナーが考えに考え抜いて製作したクリエーションのひとつです。
素人の我々がパッと見で感じるようなことは、当然、作り手側が誰よりも理解しています。というより、意図的に「こんなボロボロの靴に15万円かー」「え?これが新品?」「ダサい」…と思わせているのです。
だからこそ、このような批判にも似た感想は、全て彼らのクリエーションの手のひらで転がされているに過ぎず、むしろ褒め言葉ともいえるでしょう。
では、なぜあえてこのような批判をクリエーションの中に落とし込んでいるのでしょうか。
ここからが重要です。
Ⅱ. ユニクロは問題解決。バレンシアガは問題提起。
バレンシアガの現クリエイティブ・ディレクター “デムナ・ヴァザリア”は幼少期、故郷であるグルジアの内戦により難民としての生活を余儀なくされ、貧困を経験しています。
空襲を避け、地下のガレージに身を隠した経験や疎開した経験など壮絶な避難生活が続く少年時代。
彼が作り出すクリエーションや現在のバレンシアガの根底には、この“貧困時代の経験”が色濃く表出しています。
服を買うことができず、大人の服を子供が着せられているようなサイズ感。量販店で売っている格安服のような文字プリント。
片手にはゴミ袋。
デムナが幼少期体験した“貧困”を美に昇華するスタイリング。
それは、全てが綺麗に整えられた“ラグジュアリー”に対するアンチテーゼといえるでしょう。
西洋が作り出したファッションの“美しさ”に対する反抗。
「ファッションは裕福な人が特権的に美を手に入れる文化ではなく、むしろその対極に位置する貧しさの中にもファッション的観念が眠っているのではないか」という問題提起を我々に示しているのです。
これはまさしく、
というジョン・マエダ氏による指摘に通ずる部分があります。
バレンシアガが生み出す、“多くの人がつい批判してしまうクリエーション”は社会に問題提起をする“アート”そのものです。
路上芸術家のバンクシーが路上に落書きをするのも、批判を浴びながら注目を集めることで、その作品を通し社会に問題提起をするためです。
問題提起をしたいのでなければ、アトリエでひっそりキャンバスに絵を描くべきでしょう。
逆に多くの人が満場一致で共感してしまうものは、問題提起ではなく“問題解決”のための“デザイン”に過ぎません。
ユニクロのエアリズムやヒートテックは“温度調整”という問題を解決するためのデザインであり、誰からも批判されたりしません。
ユニバーサル“デザイン”の製品も個人の違いによらず誰でも使えるという問題解決のためのまさに“デザイン”なのです。
その意味でジョン・マエダ氏の指摘をファッション文脈におきかえるなら、
ユニクロはデザインし、バレンシアガはアートする。
この違いがあるからこそ、冒頭の価格差が生じ、市場の中で成立しているのです。
同じ衣服であっても“デザイン”なのか“アート”なのかは大きな違いです。
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