無印良品とマルジェラの哲学は似ている
MUJIという愛称で世界中から支持される日本のグローバルブランド「無印良品」。
ベルギー出身のデザイナー マルタン・マルジェラが設立し、日本でも熱狂的なファンを持つブランド「Maison Margiela(メゾンマルジェラ)」。
両ブランドは異なる地で創業され、一見全く異なる価値を世に発信し続けているように思えるが、その根幹に据えられた哲学に大いなる交差を窺い知ることができる。
今回の記事では、無印良品とメゾンマルジェラの哲学性に注目することで両ブランドが誕生した1980年代の社会状況についてまで言及したい。
これらの考察は今後のファッションのあり方を考える上で極めて重要な視点を含んでいると筆者は考えている。
ぜひ、最後まで読んでいただきたい。
無印良品とマルジェラが掲げたアンチ消費社会
2つのブランドの哲学性に迫っていくが、ここではまず、より直感的に理解しやすい「無印良品」の掲げる哲学を話の端緒としていきたい。
無印良品は当初、西友のプライベートブランドとして誕生。
同ブランドの特徴はブランド名のとおり“無印”であること。つまり、ブランドとして商品を売るのではなく、商品そのものの魅力によって、まさに“良品”を手に取ってもらうことを目指して、その歩みがスタートした。
この「ブランドの名前では売らず、商品そのものを評価してもらう」という考え方は1980年当時に蔓延したブランド至上主義や消費主義に対するアンチテーゼであったといえる。
少し踏み込んだ話をすれば、この当時(1970〜80’s)、社会的にはバブルによる好景気・ファッション的にはDCブランドの台頭や海外ブランドの日本上陸等、人々の消費が過剰になる土壌が出来上がりつつある時代。
このような時代の中で、本質からかけ離れたモノの消費がなされている様子に嫌気がさし誕生した“アンチ消費ブランド”が「無印良品」。
今でこそ、日本を飛び越え世界中から支持されるブランドという印象だが、その誕生の背景には社会に対する強烈なメッセージがあったのだ。
では、メゾンマルジェラはどうだろうか。
便宜上、メゾンマルジェラとしているが、デザイナーのマルタン・マルジェラが同ブランドを創業した当初は「Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ)」の名前でブランドの歩みを始めることになる。マルタンの服づくりの根幹にもまた、無印良品と同じく、常にブランド主義や消費主義に対するアンチテーゼがあったといえる。その要素は枚挙にいとまがない。最もわかりやすい例がたびたび話題になる“四つタグ”であろう。2019年に公開されたドキュメンタリー映画「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」の中で次のように語られた場面がある。
そう、今やマルジェラのアイコン的立ち位置となった“四つタグ(とりわけ白タグ)”は、このマルタンの発言を踏まえて考えるのであれば、まさに「ブランドの名前では売らず、商品そのものを評価してもらう」ためのものだったといえるのではないだろうか。
また、マルタンは生産過剰な洋服を買い付け、その洋服に第2の人生を与えるが如く、手作業で新しい洋服へと作り替えるコレクションも行っていた。
消費主義の社会が生み出した過剰在庫が彼の手によって、新しい価値を帯びる斬新な表現だ。このようなクリエーションの背景にはいつも消費主義への疑問があったに違いない。
このように「無印良品」と「Maison Margiela(メゾンマルジェラ)」の両ブランドは“消費社会に対するアンチの精神がその根幹に据えられていること”が明らかだ。
決定的な両ブランドの共通項
アンチ消費社会的なクリエーションのアプローチ。
平たく言えば、「ブランドの名前では売らず、商品そのものを評価してもらう」という姿勢。
この哲学に共通性を見てきたが、「無印良品」と「Maison Margiela」には、実はもっと表面的な部分〈設立時期〉に重なりが見られる。
無印良品が誕生したのは1980年。その後1989年に良品計画に移管されることとなり、現在我々が触れる無印良品へと形を変えた。
一方、メゾン マルタンマルジェラも1988年にフランス パリで創業される。
両ブランドが、ほとんど時を同じくして創業されていることがまた、「1980年代にかけて醸成された消費社会に対するアンチ」的姿勢がちょうど1980年代後半にかけて爆発したタイミングであったことを示唆しているように思える。
当然、両者がタイミングを申し送りの上、創業した訳もなく、たまたま(ある意味では必然的に)一致したわけだ。
この一致は極めて意義深い。
この記事で伝えたかったこと、ブランドとクリエーションのその先。
「無印良品」と「Maison Margiela(メゾンマルジェラ)」のブランド哲学には消費社会に対するアンチテーゼや疑問が含まれているという点で共通している。…ということをのんべんだらりと語ってきたが「だからなんだ?!」の一言で正直片付けられてしまう。
尺を使った割に、それ以上でもなければ、それ以下でもない。
しかし、ここから一つだけ考えていただきたい点は、
「ブランドやそのブランドが生み出すプロダクト〈クリエーション〉の根底にはいつも哲学性が眠っている」という点だ。
今回は無印良品とマルジェラをその例に挙げたが、身の回りのあらゆるクリエーションにはほとんど必ず、根っこの奥深くに哲学が鎮座している。それにはブランドネームの有無や値段の高低は関係しない。
「1980年代が消費的な社会であった」との趣旨を記したが、依然その社会のあり方は収束を見せない。それどころか拡大を続けているとさえ言えよう。
わたしたちが、モノを消費するとき、そのモノの哲学に触れることでこれまで以上にそのモノを愛することにつながるのではないか。
モノを愛でることは、もしかしたら過剰な消費を避けることにつながるかもしれない。自戒の意味を込めて ー
⬇︎今回の記事の続編です⬇︎
マルジェラと無印良品の哲学について、“より具体的”に言及しています。
マニアックな内容になっているので、興味がある方はぜひ。