塾講師が勧めるオリンピックの見方
オリンピックが開幕しました。
毎回、小学生から高校生の生徒たちにオリンピックへの興味関心の度合いを聞くようにしていますが、年々低くなってきているように思います。
言われ尽くしたことですが、スマホが普及したことで、子どもたちは自分の趣味を追求し深堀りできるようになりました。自分の「推し」を見つけ、その愛情を共有する相手も、オンラインで探すことができます。
世の中で広く関心を集めることに注意を向ける必要も無くなっているようです。
それでも、塾講師、また英語講師として、オリンピックを見てほしいと思います。
・普段と違う角度で外国を意識する
グローバル社会に生き、身近に外国の文化を感じるようになった、と言われます。
しかし、実際に体感する異文化は、思っている以上に偏ったものであるのが普通です。欧米を基本とした文化があり、近年のK-POPブームで、韓国の文化も身近なものになったでしょうか。
オリンピックで世界各国の代表選手が出てくるのを見ていると、世界中、
様々な場所に多様な人が暮らしていることを想像するきっかけになります。開会式を彩る各国の民族衣装や、文化に根ざしたユニフォームデザインを見ることも、貴重な学びのきっかけです。
国際社会で大きな影響力を持つ国や文化だけでなく、多様な文化が存在し世界を作っていることを知る貴重な機会として、オリンピックがあります。
・長期間、努力する継続力を学ぶ
試合を見て、解説を聞いていると、選手たちがいかに長い期間準備をして本番に望んでいるのかを知ることができます。4年間(今回は例外的に3年間ですが)という長期にわたり、トレーニングし、自制心をもって生活を管理し、積み重ねていくということの重みを、選手たちの試合に望む様子から感じることができます。
学習をすることは、私達、塾講師という助けがあったとしても、最終的には生徒たち本人の努力、自己管理に帰結します。
塾や予備校にカンヅメになって勉強することが良いゴールにつながらないことは、アスリートが前時代的な管理型のトレーニングから、自ら思考し、メンタルヘルスもケアしながらトレーニングする時代へと変わっていることを見ても明らかです。
プレッシャーを感じる状況であっても、ポジティブになれる要素を見つけ、サボりたい気持ちと戦いながら、上手にトレーニングを継続する技術。スポーツにも学習にも必須のものでしょう。
・一流アスリートの発信力に学ぶ
勝った後、負けた後、アスリートの語る言葉には力があります。
競技を知らない人、スポーツに親しみのない人にまで届く、不思議な説得力がどこからくるのか。
発信力を養うことが大切だとされる現代社会ですが、情報を受け取る機会が増えすぎたこともあり、上手な発信者から情報を受け取る機会は多くないようです。
YouTubeにある様々な動画は刺激が多く、短時間で楽しめるエンターテイメントとして非常によく作り込まれています。
ですが、背景としての物語があり、競技というルールがあり、制限があり、というなかで何かを成し遂げた、また目標までの道半ばで歩みを止められた人物が語る言葉の重み、インタビューアーの質問の意図、競技を超えて伝えようとするアスリートの真摯な姿勢。
そこから、自らの感情や経験を他者に届けるとはどういうことかを考える事ができます。
細かく専門的な領域に入り込んで見始めれば、投擲種目の中に存在する物理的なものの見方や、マラソンを見ながら、進んだ距離と時間から選手たちの時速をイメージし、その速さを想像したりと、学びの要素は無限に広がります。
いつの時代まで、国ごとに対抗するという形が意味をなすのか、商業的になってしまったことへの批判的な見方など、オリンピック自体の是非はあることも事実です。
ごちゃごちゃと長く書いてしまいました。
何よりも、シンプルにスポーツを応援し、一喜一憂し、その感動を共有する楽しさ。それが広く子どもたちにも共有されていくことを願います。