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『大天使ボルサリーノが舞い降りた日、私は「カール・ルイ子」になった』〜後編

前編からの続き。。。。

突然だが、アナタは「人生を変える夢」を見たことがあるだろうか。

私にはある。

今でも鮮明に覚えている「あの人」を。

「あの人」に出会ってから、私は「突然変異」をしたのである。
カールルイ子に。

あれは、4・5歳位だったかと思う。
それは祖父が「あちらの世界」に渡った直後だったから、
良く覚えているのだ。
 
その頃初めての社会生活「幼稚園」という場所に属した。
そして初めて人と「競う」事を学ぶ機会が増えたのだ。

まさに競う象徴、「ザ・運動会」。それである。

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「人と走って順番をつける?順位って何」。ぽけーっ。

この数年前に「妹」という好敵手が出来た。
とは言え、それまで「人と競う」事の意味を全く持って理解していなかった私は、相当平和な幼少期だったのではないだろうか。

私にとって運動会とは「母の笑顔を探す」事。
そして
「ピンクのリボンの争奪」
することだったのである。

詳しく話をしよう。
私の母は、恐ろしくお洒落な名前を持つ妹が生まれた後、しばらくするとすぐ仕事に復帰したキャリアウーマンであった。
当時は今と違ってキャリアウーマンは相当珍しかったろうと思う。

家事も完璧にこなし、
綺麗にセットされた髪と、
綺麗にひかれた真っ赤な口紅。
皺一つないアイロンのかかったスーツを身に纏い、カツカツ音を立てて仕事に行く母は、いつも本当に忙しい人であった。

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そんな大好きな美しい母は、嬉しい時は大きな笑顔をする人である。
その大きな笑顔を独り占めできるのが、この「運動会」だったのである。

「よーいどん!」

と聞こえると、私はゴールを目指すより、ニコニコしながら母を探すのである。

全く以って、頭がお花畑である。

そして、私にはどうしても譲れない事がもう一つあった。
それは

「ピンクのリボンの争奪」である。

我が幼稚園のかけっこは、順位によってカラフルなリボンを与えられた。
1位は赤いリボン

「いらない。。」

2位は確か黄色か青だったかと思う。

「凄くいらない!」

3位「ピンク」。。

「これだ!!」

私は「ピンク」のリボンが強烈に欲しかった。
何故ならば、父からボーイッシュに育てられていた私にとって、ピンクはまさに「憧れの色」。
お風呂場で、今だと「虐待じゃないか」と疑われるくらいの大号泣で
「モンチッチ刈り」
にされていた私の、手に入れる事が難しい色。
父に気を使い、普段は「ピンクが欲しい」と言えなかった。

それじゃあ5歳で神経性胃炎にもなるわ (笑)

だからこの頃は「人より早く走る」事などどうでもよくて
「3位」
になることにしか興味がなかった。

まるで、あの柔道ヤワラちゃんの名言ばりの
なんとしてでも「3位」。
なんとしてでも「ピンク」である。

今考えると、まだこの頃の私の心はとても自由だったと思う。
(その後、すぐ自由では無くなるとは思ってもいなかった)

そんなある日、激しい競争社会で生きていた父が、私の事で母に何か言っているのを耳にした。

「何故NICOは早く走る努力をしないのか。よそ見ばかりして。良く言い聞かせなさい」その様な事だと記憶している。

その時である。「足が速ければ父も母も本当は喜ぶのか」と思ってしまったのだ。
 
これからする話は、ずーっと大人になるまで、ほぼ人に話したことがない「摩訶不思議な」話である。

私には「ミラクル」他人にとっては「そんなバカなっ!」な話である。

父が母に話しているのを聞いてしまったその日から程なくしてだと思う。
ある日突然「あの人」が私の夢の中へ現れた。

帽子とコートを着た(物心ついて、それがボルサリーノとトレンチコートという名の物と知るのだが) 「あの人が」。

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私の夢の中は、セピア色の霧の強い日だった。
隣に住むシゲちゃんと家の前の道でいつもの様に笑いながらかけっこをしていた。

人影を感じ、振り返った。
霧の中からボルサリーノハットを被り、トレンチコートに身を纏った男性が「にょきーん」と現れたのである。

顔が見えない。。。。

てっきり亡くなったばかりの祖父かと思い薄ら喜んだ。
「ハゲ頭」なら祖父なのに。

でも何か違うのだ。「ひっ」である。
 
突然、その男性が口を開いた。

男「NICOちゃんは、足が速くなりたいか?」
私「なりたい!なりたい!」
男「では、言った事をやってごらん。速くなるから」
私「やる。絶対やる」
男「片腕をグルグル回すのだよ!」

片腕をグルグル。。。。。
「なんだそりゃ?」である。

私はパチッと目を開けベッドから飛び起きた。
髪の毛が重力と逆の方に酷く逆立ったまま
私は外に飛び出した。

正に、夢に登場した「ボルサリーノにトレンチコートを着た男」が言った事を私はすぐさま実践したのである。

その欽ちゃん走り、もとい「片腕ブンブン回し」走りを。
 
「風を切る」という体験をされた事はあるだろうか。
 
まさに、その「秘儀・片腕ブンブン回し走り」は「風を切る」ことが出来るのである。
本当に、体が桁違いに軽いのだ。
生まれてたった4・5年。味わった事の無い体の軽さ。

それからである。私は桁外れに足が速くなり、桁違いに運動神経が良くなったのだ。
まさに、スパーク。
高校時代には50M 5.7秒を叩き出す程に。
ただ、正直その能力を全開にはしなかった。
何故なら、心が弱く同級生の「あーだのこーだの」攻撃に対応する元気がなかったのだ。

今考えると「あんぽんたん」である。
その後もアメリカの大学で、ちょっとかじっただけのバレーボールで全国大会に行った。
記憶の中で葬っていた高校時代のソフトボールの経験のおかげで奨学金も貰った。

今思うと、「あのボルサリーノの男」に、とてつもない生きる為に使える道具を貰ったのかもしれない。
ただ、「取扱い注意」並の心の弱さで、「それ」無駄にしてしまったのである。
妹には今でも「本当に才能の無駄遣い」と言われ続けている。

それは又別のお話。

あれから私の人生を変えた「ボルサリーノの男」は一度たりとも出てきてはくれない。


あの男は私にとっての一生に一度しか現れない「大天使」だったのかもしれない。


「人生は自分で良きも悪しきも変えていけるんだよ」

それが「ボルサリーノを被ったオッサン大天使」の私へのメッセージかもしれないと
今は心よりそう思う。

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お読みいただき、有難う御座いました!!

SEE YOU NEXT STORY!!

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