奥中目の小さな店で、今宵も、縁が生まれている。
株式会社鈴木チャンピオン 店舗名:メシ酒場鈴木ちゃん 店長:鈴木昌平氏
プロレスラーの橋本真也さんに憧れ、おなじ格闘でもある相撲を始める。高校卒業後、2000年3月、宮城野部屋入門。生涯の戦歴99勝94敗。最終場所は2005年。翌年に映画に、その後も映画やCMにも起用されている。同部屋の白鵬関の付き人も5年務めている。2012年、鈴木おさむさんと出会い、店長として「ちゃんこ屋 鈴木ちゃん」をオープンする。
プロレスラーになろうと、相撲道場に通い始める。
「小学6年生で100キロあった」というから、たしかに巨漢。「当時は背も高かった」と今回、ご登場いただいた<メシ酒場「鈴木ちゃん」奥目黒>の店長、鈴木さん。
インタビューに同席してくださったオーナーの鈴木おさむさんは、苗字が同じ鈴木さんのことを「昌平」と呼ぶ。
それにならって、店長を「昌平さん」、オーナーの鈴木さんを「おさむさん」と表記させていただくことにする。ちなみに、おさむさんは現在TOC向けファンド「スタートアップファクトリー」の代表を務める鈴木おさむさんである。
「私は大阪の箕面出身です。父親の仕事の関係で生まれてしばらくは宮崎にいましたが、小学生で箕面のお隣の池田市の学校に通って、中学で箕面の学校に進みます」。
お姉さんが1人いる。
「こどもの頃はテニス、水泳、少林寺、柔道とかですね。あの頃は、新日本プロレスの橋本真也さんに憧れて、将来はプロレスラーになろうと思っていました。相撲と出会ったのは、その延長で、プロレスラーになる、いいステップになるかな、と」。
「勉強は得意じゃなかったし、からだを動かすのが好きでしたからね」。
相撲道場に通い始めたのは、中学2年生のとき。のちに昌平さんは、あの白鵬関の付き人になるが、当時、力士は視野の外の世界だった。
角界入り。力士、「鈴木山 昌平」、誕生。
「道場の先生の紹介で、相撲クラブがある京都の高校に進みます」。自宅から2時間かかったというから驚かされる。「昔はつよかった高校ですが、私が入学した頃は、他校のほうがつよかったですね」。
昌平さんは、そのけっしてつよくない学校から、新星のように頭角を現す。
<角界入りはもう既定路線?>
「いいえ、ヘルニアになっていましたから、実は角界入りは先生たちに反対されていました。その身体ではもたないっていって。ただ、そういう(相撲界に入る)流れになって」。
「ヘルニアの原因はわからないんです。ただ、私なりには、ヒザを痛めて、それをカバーしていたことがいけなかったのかな、と」。
ヘルニアという爆弾を抱えながらも、昌平さんは、相撲の世界に入る。ある意味、プロレス以上に、過酷なスポーツ。身長174センチ、体重130キロ。力士のなかでは小柄なほう。
成績はどうだったんだろう? ネットで検索してみた。
所属は宮城野部屋。四股名は「鈴木山 昌平」で、のちに「一秦 昌平」に改名している。初土俵は2000年3月、最終場所は2005年1月。生涯の戦歴は99勝94敗となっていた。
「現役は5年です。力士の頃からヘルニアが悪化して、サポートの仕事もしていて、『ちゃんこ』もつくっていました。料理をはじめたのは、その頃。今になっては、野菜のカットや、魚の処理という基礎からスタートできたのがよかったですね」。
むろん、葛藤がないわけではなかった。力士をあきらめ、サポート役に回るのは辛い選択だったにちがいない。
ただし、「ちゃんこ」を食べて「旨い」と歓声をあげる先輩力士や後輩力士をみるのは、心優しい昌平さんにとって喜びの一つだった、そんな気もする。
このあと、いったん角界から離れ、箕面にもどっていた昌平さんに一本の連絡が入る。
白鵬関からの連絡だった。
ちゃんこ鍋が、取り持つ縁。その始まり。
「白鵬関は、私より一つ下で、同じ宮城野部屋の、いったら後輩です。力士の頃から親しくさせていただいていました。それもあって付き人をさせていただくことになりました」。
横綱に駆け上がる白鵬関にとっても、一つちがいの昌平さんの存在は大きかったのではないか。
ちなみに、白鵬関はモンゴル国ウランバートル市出身。第69代横綱。ウィキペディアによると好物は焼肉と納豆。むろん、昌平さんは、ご存知だろう。身長は192センチ、体重155キロ。
「付き人を5年させていただきました。今でも親交はあります。彼は、昌平ちゃんとか、昌平さんとかっていうかな」。
2人並べば体格差はあきらか。昌平さんとは20センチちかくの体格差がある。付き人を辞め、ふたたび大阪にもどっていた昌平さんは、ある力士の断髪式があって上京する。
その時、声がかかる。
「今度、今田耕司さんのご自宅でパーティーがあるんだけど、ちゃんこをつくってくれない?って話です。私でええんかなって、そうは思いましたが、せっかく声をかけていただいたんで作らせてもらいました。で、そのパーティーに、おさむさんがいらしていて」。
2人の鈴木がはじめて出会うことになる。
「昌平の『ちゃんこ』が、縁結びの神様ですね」と、今度はおさむさんがいう。
「いつか飲食をしたいなと思っていたんですが、プランがあったわけじゃありません。ただ、今田さんのうちでいただいた鍋が旨くて、これだ!って。ちゃんこをつくってくれた昌平と連絡先を交換して。もう、その当日ですよね。いっしょにやりませんかって、オファーさせていただいたのは」。
「そうです。私にすれば、狐につままれたっていうか。半信半疑というか。だって、私は素人同然ですしね。でも話はトントン拍子に進んで、お鍋の会が2月で」。
「4月にはもうお店が決まっていたよね」と、こちらは、オーナーのおさむさん。
「そうです。駅チカのロケーションで、『ちゃんこ鍋』のお店をオープンさせていただくことになりました」。
「ただ5年で赤字6000万円! 鍋って、冬と夏であれだけ集客に差があるなんて知らなかった」とおさむさんがいうと、「冬だと1500万円って月があったんですが、夏は、さっぱりで」と昌平さん。
「ゴールデンウイークが過ぎると、鍋の需要は少なくなっちゃったよね」。
「ですね。桜の季節くらいまで。そうなると、家賃の90万円が重くのしかかってきます。フロアは狭く、3フロアだったので、人件費もかさみました」。
「みんな素人だから、最初は、そういうことに気づかなかった。2012年にオープンして、2017年にクローズします。でも、僕は、それで終わりにしたくなかった。昌平の料理は旨かったし、昌平の人柄も生かしたい(笑)。だって、中目黒じゃ、僕より顔が広くなっていたしね」。
元力士と、元放送作家の2人の鈴木がつむぐ、物語り。
オーナーと店長、立場はちがうがいっしょにやってきた5年間。「失敗の最大の原因は、僕も、昌平も、みんな素人だったから。だけど、もう素人じゃないからね」。
おさむさんがつづける。
「でもさ。つづきの物語りをスタートしようとしたって、じゃあ、どこですんの? って話でしょ。昌平のネットワークがある中目黒がいいんだけど、ぜんぜんあきがない。ところがね、僕が常連のスナックのママからお店を売りたいと考えている人がいるって教えてもらって。そう、それがここです」。
とインタビューさせていただいた「鈴木ちゃん」の店内を見渡す。
<2号店ですね>
「2号店というか、おさむさんにいただいた、再チャレンジのチャンスです。居抜きだったので内装は極力そのまま生かしてキッチンだけ自分が動きやすいよう変えました」。
「基本は昌平とアルバイト1人。料理は、ちゃんこもだすけど、基本は居酒屋さんのスタイルです」。
グルメサイトをみると、個々の評価点が高いのがわかる。「昌平さんが作る、男メシ、ガッツリメニューが最高のお店」という評価も。「鈴木ちゃん」というネーミングも、親しみやすさ全開!
「カウンターだから、創業店とちがって昌平ワールドですよ。7~8割は常連客。僕がオーナーっていうのも隠してないから、だいたいの常連さんはそれも知っているんじゃないかな」。
「知っていますね(笑)」。
昌平さんは、「コロナの頃は地獄だった」という。おさむさんから任されているから余計だろう。ただ、それもまた2人で乗り越えた。
「鈴木ちゃん」の鈴木は、おさむさんの、鈴木であり、昌平さんの、鈴木でもある。
<親戚じゃないんですよね>というと、
「ちがう、ちがう、ほんとに偶然」とおさむさん。
一つの縁からはじまった物語りは、もう10年以上つづいている。「この人といっしょなら素敵なストーリーがつむげそうって。それが、僕にとっての縁の始まり」とおさむさん。
お2人の今の関係が、縁の深さを物語っているよう。そして、新たな縁が、今宵も、奥中目の小さな店で生まれている。
以下、「メシ酒場鈴木ちゃん」のホームページにあった一文。
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