世界は願いの強さでできている、というお話
僕は常々この世界は「無意識の集まり」でできていると思っている。今、怪しいと思ったでしょう。僕も怪しいと思う。スピリチュアル臭がぷんぷん。でもなんのことはない。無意識=みんなが思っていることと考えると大体合っていると思う。みんなが「この世界はこのような世界だ」と思った形に世界は今日も作られている。当然、世界がクソだと思う人が多ければクソみたいな世界になるだろうし、美しい世界だと考える人が多ければ、美しい世界になるのだろうと僕は思っている。そして、今のところ世界は美しくあり、クソみたいでもある。今日も世界は均衡を保っている。
願いは人の数だけあり。
一時期、引き寄せの法則が流行ったけれども、あれは本当に基本的な事で、引き寄せるなんて当たり前のことでしょ、そして引き寄せられないのも当たり前でしょ、と思っている。引き寄せられる理由も引き寄せられない理由も簡単で、願いの強さと量が足りていれば引き寄せられるし、不足していれば引き寄せられないものと僕は思っている。これは世界が無意識の集まりでできているのと同じように、願いはその願い(人)に対する強さと量で決まると思っている。願いが叶うのは強さと量が十分な人だけである。色んな人が色んな願いを持っているけど、十分な強さの願いを持つ人なんてそうそういない。だから引き寄せられない。
願いの強さ✖️量
例えばプロサッカー選手になりたいと言った少年がいたとする。ほとんどの場合はこの願いは叶わない。それくらい厳しい世界である。じゃあこの少年が願いを叶えるために必要なことはまず何かと言うと、願いの強さを持つことである。いくら才能があったとしても、願いが強くなければ叶わない。抽象的で申し訳ないが願いを強く持つところがスタートだ。そしてそれを強く持ち続ける事で量が増える。その願いの強さ✖️量が少年のプロサッカー選手になりたいという願いの総量となる。また、それを応援してくれて、信じてくれる人がいる。その人の思いも願いの総量に加算される。一方で「そんなこと無理だよ」と思う人がいる。無理だという思いの量は願いの量を減算する。つまり、
少年がプロサッカー選手になれると思う願いの総量>無理だと思う総量
が成立した時に、少年はプロサッカー選手になれるのだ(と僕は思っている)。
(自分を)信じるものは救われる
この理論を僕は割と真面目に考えていて、時にはたった1人の願いがその他多数の無理を凌駕することも多いと思っている。夢を叶えることだけでなく、例えば勉強ができない人は周りの多くの人が「あいつは勉強ができない」と思っているからできないのであって、周りの人が「できる」と思っている人は大抵できる。それでもできない人は自分で「できる」ことを信じていない。要は自分が自分を信じることができるかどうかで世界なんてどうとでも変わるのだ。
だから、今思うようにいっていない人はまず自分が望んでいる世界の形を改めて認識して、それを自分が本当に願っているのか、信じることができているのか、考えてみたほうがいいですね。
ではまた。
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