他人は他人、自分は自分
最近似たようなことばっかり書いているが、人は他人の目を気にせずにはいられない生き物だ。僕だって、他人に何か言われたら気になるし、傷つくことだってある。だが所詮は
他人は他人
なのだ。一切気にする必要は無い。
他人の目を気にする理由
他人の目が気になる理由は「自分がよく見られたい」からだ。それだけでしかない。人間は嫌われたくない生き物だから、ある意味では仕方がない。でも、よく考えてみて欲しい。全員が好き!っていう人がいるだろうか。10人いたら1人くらいは「えー、、」って言う人は必ずいる。(10人はセーフでも100人、1000人に1人くらいは必ずいる)あなたに意見を言った人はもしかしたらその1人かもしれない。全員に好かれる事など不可能なんだから、わざわざ不可能にチャレンジする必要は無い。
他人は好き勝手言う
他人は好き勝手言う。これは本当にもう。昔僕も「時間を守らない先輩」(勤怠悪い、打合せの時間守らない)に「社会人として君の振る舞いはどうか」的な事をメールで言われた事があるが、「いやー、おめえに言われたかねーわ笑笑笑」と思っていた事がある。表には出さなかったけどねー。おめー、自分を省みろよって思ったね。まあそれはいいとして。純粋な私は酷く傷つき、メールをそのまま削除致しました。(ここが社会人としてどうか)他人は他人の気持ちや受け取り方など考えず、思ったことを投げる。そんな事を気にしていては、いくら時間があっても足りないのである。
よそはよそ、うちはうち
みんな持ってるから、Nintendo Switch買ってー!
みんなって誰やねん?
AくんとBくん…
みんなやないやないかー!よそはよそ、うちはうちや!
っていうやりとりは巷でよく聞かれる子供と親のやり取り。それと同じで、他人は他人、自分は自分だ。他人がいくらいいと言っても、自分に合うかどうかはわからない。どうしても他人の言うことを聞きたければ、言われたからやるではなく、自分がそうしようと決めたから、にしよう。他人に言われたからやる事は、たぶん、失敗する。いや、ほぼ必ず、かな。そのときに、自分で決めたことであれば、ちゃんと自分が責任を引き受けられる。他人に言われるがままにやった事は、言われた事をやったのに…あの人のせいだ!となる。そうなったら、成長は半分以下となる。時間ももったいない。それに「あの人」は責任など取らない。お前のやった事じゃん、と逃げられるのがオチ。(情弱とされる人はこのパターン多いよね)なので、他人の言うことは聞かない方がいいでーす。
結構抽象的な話になってしまったけど、ここずっと考えてることを書いてみた。自分で考えよう。
ではまた。
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