「現在」を見失った僕が見つける「未来」
この夏、僕は無職になった。妻の海外駐在に合わせて仕事を辞めることになったからだ。それなりに慣れ親しんだ職場を辞め、妻と二人の子供と一緒にロンドンにやってきた。41歳、専業主夫。自分がそんな肩書になるなんて、 想像していなかった。
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大学のとき友人に、「お前は将来を見据えているけど、現在を見失っている」と言われた。理想は語るけど、それに向けた準備をきちんとしていないということだそうだ。あまりに的確な指摘で面食らった。
そこから20年以上の月日が経った。それでも僕は今も「将来を見据えているけど、現在を見失いがち」だ。どうあるべきか・どうありたいかを自分の判断軸にして、人生の決定をしてきた。人から見れば突発的な判断、意味不明な判断もあっただろう。でも自分なりの答えを出してきた。
今回、海外赴任の打診があったことをうちあけてきた妻に対して、NOという選択肢は僕にはなかった。このご時世、女性だからってすべてを犠牲にすることは僕のなかでは理想的な意思決定だとは思えなかったから。娘が大きくなったときにも、胸を張って説明できない気もした。まあ、結果として、僕は「現在」を失ったわけだけど。
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数年後にはまたどこか違うところに引っ越すことになるだろう。日本に戻ることになるかもしれないし、どこかまた他の国へ引っ越すことになるかもしれない。自分のキャリアに対する不安がまったくないと言ったらうそになる。でも、何とかなるんじゃないかなという楽観的な気持ちが過半数を超えている。それは、未来の自分と自分の未来に期待しているから。
ずっと年齢を重ねることは可能性を失うことだと思っていた。でも、子どもが生まれたり、新型コロナウイルスによって毎日の生活が大きな影響を受けたりを経験した中で、確実に自分の中の時間軸とか判断軸が大きく変わった。そして世の中の見え方が変わった。
自分自身がこんなに変わりうるのであれば、年齢を重ねても、いや、年齢を重ねれば重ねるほど、いろんな角度から世の中を楽しめるかもって、今なら思える。だって、キュウリの浅漬けをつけて冷蔵庫にしまいながら、翌朝の朝食のことを考え心躍りしながらベッドに入る人間になるだなんて想像していなかったもの。キュウリを愛おしいって思うだなんて想像していなかった。
「現在」を失った僕は、日々模索しているわけだけど、その中だからこそ得れるものを自分の中で積み重ねがら、いろんな感情を経験して、ちょっとづつ成長してくのだと思う。
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自分が積み重ねてきた先に、#想像していなかった未来 がある。