未来をつくるのはヒーローじゃなくて
おとんの電話で地震を知った
僕はまだ19歳だった。1年の浪人生活を終えて、無事に進路も決まった。一方で受験勉強から解放されて、生活に張り合いをなくしてしまっていた。ベッドに寝転がったまま、本や漫画を手に取る。ぱらぱらとめくってみるものの読む気にもならず、また天井を見つめる。天井はいつ見ても少し日焼けた白で変わらないのにまた見つめる。
手持ち無沙汰だった。すると、携帯電話が鳴った。こんな真昼間に電話をかけてくるなんて、暇なやつも世の中にはいるもんだと思いつつ携帯電話の画面を見る。ピクセルがわかるほどの粗い文字で画面に表示されたのは「おとん」という文字だった。父よ、暇なやつなんて言ってごめんなさい。
「テレビをつけろ」と間髪入れずに父が言った。理由も何も説明せずに命令された側の頭には「?」しか浮かばなかった。もともとせっかちな父だから、いつものことだと思いながら渋々テレビをつけた。
地震があったらしいこと、東京でかなり揺れたということ、東京で働いている姉と連絡がつかないこと、をまくしたてるように父が話した。自分は仕事があって今から電話ができないから、代わりに姉に電話をして状況を確認しろという指令が出た。
めんどくさいと思いつつも姉に電話をかける。思いがけないほど簡単につながって拍子抜けしたおかげで姉が電話に出た時に、「あ、えっとぉ、、、」と気持ち悪い声を出してしまった。
幸いにも姉は無事だった。仕事で来ていたビルはかなり揺れ、エレベーターも止まってしまったらしいが、概ね問題ないとのことだった。姉から聞いたことをそのまま文章にして、「おとん」「おかん」を宛先にしてメールを送信した。これで一件落着。そう安心して、リモコンを画面に向けて電源ボタンを押してそそくさと自分の部屋に戻った。
あまりにも暇で時間を持て余していた僕は中学時代の友達とひさしぶりにご飯を食べに行くことにした。地震のことなんて忘れた僕は軋む家のドアを勢いよく開けた。意気揚々と自転車にまたがった。
すべてが崩れ、流されていく
あたりはがすっかり暗くなったことを察知し、自転車の電気がつく。ずっと友達と話していて疲れたこともあって、ゆっくりと家のドアを開けた。自分の部屋に向かおうとしていた時、ほんの一瞬だけ映像が見えた。違和感があった。気づけば映像を見ていて僕の足は止まっていた。
鉄でできた塊と木で組み立てられた塊が流れていた。船じゃない。車であり、家であり、家具といった生活のすぐそばにあるものがなぜか流れていた。生まれて初めて見た光景に理解が追いつかない。どうしていいかわからずこたつに足を突っ込んだ父と母の方を見た。「これCGやで」と笑いながら言ってほしかった。
「今日地震あったの知ってるやろ?津波がすごかったらしいねん」その言葉が理解不能な光景を現実であると裏付けた。現実だとわかってしまうと目を背けることができない。情報量が多すぎて理解できない。本当は一度冷静になりたい。それなのに、自室に戻ろうとしていた姿勢のままテレビに釘付けになっていた。
ヒーローの登場に期待を抱いた
こたつに潜り、ただただ画面に流れる映像を見続けた。なにもかもを押し流す濁流。帰宅困難者で溢れかえる大都会。石油コンビナートで赤く燃え続ける炎。ずっとテレビを見ていた。あたりが明るくなり始めた頃、ようやく現実として認識できた。
翌日から被害の状況が報道され始めた。災害の多い日本で生まれ育ったからこの手の報道に慣れっこだと思っていたけど、どうやら今回は勝手が違う。のちに東日本大震災と呼ばれるようになったこの災害はすべてが「想定外」だった。
被害の範囲があまりにも大きく、そして広範囲に渡った。各メディアも、当時の政府ですら全容を把握できなかった。
分単位、時間単位で被害状況が更新されるような想定外の大災害を見てふと思った。
「だれかが、なにかを変えてくれるかもしれない」
「不謹慎だ。喪に服せバカ。」おっしゃる通りだ。ぐうの音も出ない。僕も未だに同じことを思う。それなのに、あの時は期待を抱いてしまった。
そんな不謹慎な期待を抱き、僕の大学生活は始まった。ボランティアのチラシで掲示板が窒息しそうだった。きっと、あの凄惨な光景から多くの学生がそれぞれになにかを感じ取っていたのだろう。
「困っている人のために自分ができることはないのか」
「今、自分がやるべきことは大学で学ぶことなのか」
実のところ、僕らは責任感や使命感みたいなものにただ熱狂していただけかもしれない。大学生になって少しだけ大人になった気がした僕らにとって、責任感や使命感に手が届くということは真新しく刺激的なものだった。
ある種の異常な熱を帯びた空間で僕の大学生活は始まった。しかし、京都の街が湿った空気に包まれる頃には、その熱に浮かされていた僕もどこか冷めた目で周囲を見渡すようになった。
ヒーローなんていないのに
あの頃、僕が抱いた不謹慎な期待はヒーロー登場への渇望だったのだろう。世の中を変えてくれる「誰か」がいると思っていた。その「誰か」が、世の中を牛耳る巨悪をやっつけてくれると信じていた。
そう信じていたし、元来、僕は自己顕示欲や承認欲求を拗らせていた青二才は「誰か」は自分だと信じてやまなかった。そんな風に盲信してしまえるほどに当時の僕は無知で浅はかだった。
これを世間ではうぬぼれと呼ぶのだろうけど、自意識を拗らせた僕を焚きつけるには、あの日の光景は十二分な役割を果たした。まだまだ未熟な19歳の僕の心に火を放ち、瞬く間に燃え上がらせた。焚きつけられた僕はヒーローを渇望し、自分自身がヒーローになれると信じた。
僕はヒーローになれなかった
あの頃の無知で無力だった自分から少しだけ成長した気がする。だけど、成長してわかったことは、ある種の絶望だった。成長するにつれて仲良くなった絶望が僕に語りかける。
「社会なんて変わらないんだよ」
囁くように、淡々と語りかけてくる。時が経つにつれて、反芻して声は大きくなる。何度も気が狂いそうになったけれど、「自分がヒーローになる」と盲信した僕は簡単に引き下がれるはずもなかった。ここで引き下がってしまっては、自分の存在をなにをもって感じたらいいのかわからなくなってしまう。
「絶対に僕がヒーローになって社会を変える」
そんな状況で狂気を誤魔化すために、自分の存在を感じるために絶望の声に耳は傾けず意固地になった。今思えば、ただの虚勢だった。虚勢を燃料にして、自分の心身を傷つけながら必死になって働いた。それでも「社会を変える」と言い続けた。
あれから10年がたったけれど
あれから10年がたった今、新型コロナウイルスという未曾有の危機が世界を襲う。政治的な決定は日々迷走し、情報も錯綜し続けている。自由に行動できないストレスや先行きが見えない不安が僕らを飲み込む。
そして、絶望が囁く声が聞こえてくる。
「また誰かに期待してるのか?社会なんて変わらないぞ。」
絶望、きみの言うとおりだ。社会は変わると信じてきたし、ヒーローになれると信じて疑わなかった。でも、最近になってそんな都合の良い脚本は存在しないと悟ったんだ。だから僕は虚勢を張るのはやめたんだ。僕はヒーローになれないし、ならない。そして、ヒーローなんていらない。
「ヒーローなんていらない」なんていうと全国のちびっこから僕の元に押しかけてきて罵詈雑言を浴びせてきそうだけど、そんなものいないんだ。あれは僕らが不安や不満から生み出した妄想で、夢物語でしかない。
僕もちびっこだったら、「ヒーローはいるんだ!」ってべそをかきながら必死に訴えるんだろうけど、29歳の僕は自分でも驚くほどに前向きだったりする。むしろ10年間の絶望の果てに、今はほんの少しだけ希望を感じている。
ヒーローはいないから面倒だけど、そこには一筋の光がある
ヒーローなんていない。誰がなんと言ってもいない。全国のちびっこが泣いても知らないし、むしろ声を大にして言わせてほしい。
「ヒーローなんていないから!!!!!!」
将来の夢が「ヒーローになる」だった、ちびっこのみんなはパパとママに慰めてもらってさっさと寝ような。寝言は寝て言うもんだぜ。僕は何を言ってるんだ。
「社会は変わらない」と絶望したし、自分の無知さや無力さを知って途方に暮れた。信じて止まなかったヒーローの存在も虚無だとわかったし、自分がヒーローになるという気持ちはただのうぬぼれだとわかった。
ようやく見えた一筋の光もまだまだ小さく、世の中を手っ取り早く変えられるような便利なものではない。手っ取り早く、さくっと社会が変わるならそれに越したことはないけど、現実はそうもいかない。ヒーローがいないこんな社会だからこそ、面倒だと思いながらもやっていくしかないのかもしれない。
ヒーローがいないのは絶望っぽいけど、希望の物語の始まりだと思う。圧倒的な力を持った個人はいないし、必要ない。だからこそ、「だれか」に頼らなくても、ひとりひとりの力で未来は変えていける。
そして、「だれか」に頼らなくても未来を素敵にしていけるように日本の仕組みはできている。憲法も、法律も、議会も、選挙も実はそのための仕組みなんだよ。
だれかにヒーローを押し付けない。だれかがヒーローにならない。未来をつくるのは、ヒーローでもカリスマでもない。未来をつくるのはあなたであり、未来をつくるのは僕たちひとりひとりだろう。
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このnoteは昨年書いたものです。リライトしようと思っていましたが、きっとあの時思ったことや僕の中で出した結論はこれからも大きく変わることはないと思って内容は変えていません。
僕の20代は、東日本大震災で感じた不安や焦りや衝動のようなものから始まり、そして今気づけば終わろうしています。
ヒーローになりたくて、憧れた20代は終わりますが、ほんの少しずつ僕にできることを社会に届けていきたいと思います。正直なところ、社会なんて変わらないかもしれないという不安に押しつぶされそうになることばかりです。
あの日から10年間這いずり回ってかすかな光を感じる瞬間も少しずつ出てきました。「社会は変わるよ」なんてまだまだ言えません。でも、次の世代に託すことや自分の役割なんてものを考えられるぐらいには大人になりました。
非力なりに次の10年も足掻いていこうと思っています。