浮かび上がる後悔を成仏させるには
「なんで、あんなことやっちゃったんだろ。」
「あのとき、もう少しこうやってればなぁ…」
苦い思い出が、フラッシュバックする。脳内で記憶がリピート再生。あのときの感情が蘇り、「うぐぅ…」となる。あれはなんなんだろう。過去を急に思い出す装置が、人間には、なぜだか内蔵されている。
後悔がない人は、おそらくいない。
村上春樹さんも過去の作品について、こう語っている。
これは小説に関しての話だが、僕らの人生も同じこと。「今ならもっとうまくやれるんだけどな。」と過去のあれこれを思い出しては、1人で顔を赤くしたり、落ち込んだり。
後悔が無い人はいないが、後悔との「付き合い方」は、それぞれに随分違っているように思う。
「後悔ですか?無いッスね。」と言う人が稀にいるが、それは後悔のとらえ方が違うだけで、後悔するような出来事が無いわけではないだろう。
その人が続けて言う。「まぁ〜そりゃいろいろありましたよ。でもね、まぁ、ぜんぶ良い思い出ッスね。」と。つまりは、その出来事を「後悔」という箱に入れて引きずりまわすのではなく、「思い出」というアルバムに入れて味わっている。
ただ、そうであればいいが、もしかすると後悔を「無視」することで、無理して「ポジティブにいなきゃ!」と自分を鼓舞していることもあるかもしれない。その場合は、どこかのタイミングで鍋底がパカッと開いて、悶絶することになる。
後悔はネガティブだが役に立つ
後悔を「悪者」として見ているが、後悔が「存在している」のは、それなりに何かの役割や良い面があったりするんじゃないかとも思う。ふと、後悔の「効用」について調べてみると、面白い記事が見つかった。
以前に「ハイ・コンセプト『新しいこと』を考え出す人の時代」を読んで、面白い著者だと思っていたダニエル・ピンクが、
2023年12月に「THE POWER OF REGRET(後悔の力)〜振り返るからこそ、前に進める〜「後悔」には力がある」というタイトルの本を出していた。
この書籍の抜粋記事に「後悔への3つの反応パターン」が書かれているが、たしかに僕らはこのパターンのいずれかを無意識にやっている。
上記は抜粋文で、前後の文章がないためか、少しわかりにくく感じてしまった。個人的な解釈を入れながら表現を変えて、下記に書いてみた。
さらにこれを、それぞれのモードの人の「セリフ」で表現すると面白そうなので、やってみた。
とまぁ、こんな感じかな。
後悔は、取り扱い方を意識すれば「薬」にもなる。後悔があるからこそ、僕らは「もうあんなことにはならないように…」と努力したり、「もうあんな想いを誰かにさせないように…」と優しくなったりもするわけで、そう思えば、「後悔」を必要以上に悪者扱いせずにすむ。
だからといって、湧き上がってくる後悔を「『無視』もせず、『感情』にも飲み込まれずに、『気づきのきっかけ』にするぞ!」なんて、ロボットみたいに割り切れるものではない。それこそ、人間だもの by 相田みつを。
ダニエル・ピンクさんが書籍でどう解説しているかはわからないが、この3つの反応は「パターン」というよりも「時間が経つにつれ、自然に変わっていくプロセス」のように思う。
後悔が成仏していく3段階プロセス
こんなプロセスを自分自身がやっているが、おそらく多くの方がそうなんじゃないだろうか。そして、そのプロセスを進めていく速度は、歳を追うごとに速くなっているように思う。もちろん出来事の重さによっても、プロセスを進められる速さは異なるが。
たまに僕のことを「ポジティブやな〜」と言う人もいるが、プロセス1&2で感情の渦に飲み込まれている時間もある。ガッツリしっかり落ち込んでいる。ただ、プロセス3への転換が速くなっているので、まるで瞬間的にプロセス3に行ったように見えているのだろうと思う。
巷のポジティブに見えている人は、プロセス1のエセポジティブか、このプロセスを進めるのが速くて、常にプロセス3に見えるが、実は内部的にプロセス1&2をシュパパッと高速処理している人の2パターンだと見ている。
高速プロセス3の人は、本人も無意識すぎて、もはや処理していることにも気づいていないだろう。僕自身も「ポジティブやな〜」と言われても、「いやいやけっこう落ち込んで、しおれたほうれん草みたいになってまっせ」と言っているが、外側からはそうは見えない。
もちろん、すべての物事を高速処理でプロセス3に持っていけるわけではないので、重めのやつはプロセス1のまま「保留ボックス」に入れておいて時が来たら、スロージューサーのようにじわ〜っと消化して、プロセス2を味わった後に、昇華させていく。
なにも高速処理で素早くプロセス3に持っていくことばかりが、いいわけではない。ゆっくりと消化させていくプロセスで、物語や創作物が生まれたり、優しさが生まれていったりもする。それを味わうことが生きることの醍醐味であり、豊かさでもあるようにも思う。とはいえ、苦いから嫌だなぁと思っちゃうけどね、後悔は。
春樹さんも、時間をかけることの大切さを感じているようです。
時間をかけること、そのプロセスを実感すること、そこからにじみ出てくる納得性。それは小説も、僕らの後悔という感情に対しての向き合い方も同じであるように、この一節から感じたのでした。
とはいえ、後悔が蘇ってくることもあるし、はたまた外部から批判されることで自分がグラつくということもある。次回は、そんなときに「自分を支えて守ってくれるプロテクター」が、何になるのかについて書いていきたいと思います。
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