いわゆる「社会で使えない高学歴」について思ったこと
あいつは○○大卒なのに、仕事できないんだよな・・・
いい大学出てても、社会にでて使えないタイプだよね・・・
○○大学も大したことないよな・・・
よく言われるセリフですね。受験勉強に思い入れがある人ほどキツつ突き刺さる言葉です。
私は今まで、これらの発言は嫉妬から生まれるものと思っていました。
聞く耳を持っても仕方ないと、深く考えていませんでした。
しかし、ふと思いました。
受験にハマりすぎると、社会に順応するのが難しくなるのでは?と
なぜなら、受験は基本「自分一人のため」にやることだからです。
いい大学に行けば友達に自慢できる。親にあれこれ小言を言われずにすむ。他人より優位に立てる気になる。就職で有利になる。モテる。などなど。
これらの理由の共通点は、「自分のため」という利己的な欲求です。
では、社会にでるとどうか?
社会人は「自分以外の他人や地域、日本、世界のため」に努力することが求められます。
お医者さんは患者のため、教師は生徒のため、東京メトロの駅員はその地域の乗客のため、官僚は日本国のため、NGOは世界のために、皆懸命に働いています。
そこには、利他的な思想があります。自分の能力・才気・培ってきたスキルを「自分以外の誰かを助けるため」に使って、その対価として給料をもらう。
これが、世のシステム。
受験勉強とは、全く対局の世界です。
そもそも、受験は「自分の合格のために、誰かを蹴落とす」仕組みです。
倍率が5倍の試験に合格するには、自分以外の4人を蹴落とさないといけない。
社会にも競争はあるけれど、競争で誰かに勝てなくても自分のできる範囲で他者に貢献ができるし、それが求められる。
営業成績でトップになれなくても、自分の担当するお客様が常にいて、そのお客様のために心を砕く。お客様にとっては、営業成績なんて関係ない。自分は営業成績が人より劣るので、もうこの仕事をする資格はありませんでは社会は回らない。
「勝てなければ即終了」の受験とはやはり性格が異なる。
そう考えると、受験勉強にのめり込みすぎると、仕事をするときにかなり苦しくなると思う。
だって、他人のために努力する経験をしてないんだから。
何で俺がこの仕事しないといけないの?
別に俺じゃなくてもよくね?
大卒でこんな仕事かよ。
お客様が喜んでくれたとか、どうでもいい
そう思っても、仕方がない気がする。
他人のために自分が努力する世界があること。
それに気づくことが、受験を終えた大学生の最初のハードルなのかもしれない。