日記 出来ること、やりたいこと。
<1/13(月)>
3連休最終日。
友達4人でランチした。いろいろ話せて楽しかった。初めてのお店だったけど、料理がおいしかったので、また行きたい。ディナーコース、良いなぁ…。
遊びに行きたいのに有給休暇が足りないという話をしたら、2人は余りすぎてもはや捨てている、1人は休みすぎてもはや欠勤になっている、ということで、4人の中での私の立ち位置は真ん中くらい(?)だった。
いや、ちょっと、極端すぎない…?
友達1人がまた舞台に立つそうで、チラシをもらったので、家に帰ってからチケットの予約をした。少し先の週末。
<1/14(火)>
たまっていた段ボールとペットボトルを捨てた。えらい。
昨日のランチで自分が相談したことの回答(アドバイス)が、今まで同じことを相談してきた他の人たちと全く一緒で、「そっか、私は自分を変えたくないんだなぁ…」って思った。
客観的に見れば、それが最適解ってことなんだろう。
私は他の誰かにはなれないし、なる必要もない。それは、私の周りの人たちも同じ。みんな、それぞれ、自分の個性を生かして、働いていけばいい。
いろんな人に何回も同じことを説明するのなら、その時間を使って1回文字にしちゃえば、あとは楽ができると思うんだけど、その説明することに対してやりがいを感じている人に、それを言うのは酷というか、なんというか…。
いや、わかりますよ、自分の上手く出来ることをやるのが楽しい、ってことは。
<1/15(水)>
最近の鍋の味付けは味噌なので、豚肉を入れると、実質、豚汁。
<1/16(木)>
今日一緒に夕ごはんを食べた友達が、「自分のやりたいことが分からない病」で、なんか、久しぶりだな〜と思った。
確か前にnoteで、次に「自分のやりたいことが分からない病」の人に会ったらこうしよう、みたいな記事を書いた記憶があるけど、それだと足りない感じがした。
具体的に言うと、スマホやらYouTubeやらの依存症と、「費用対効果(コスパ)教」との合わせ技になっていた、たぶん。私の見立てでは。
YouTube観る分には(広告も観ることになるけど。あと通信費はかかるけど。)お金が掛からないじゃないですか。でも、外に出ると、何かしらお金が掛かるわけです。
初めてのことは大体、面白いかどうか、やってみないと分からないので、やる前の段階でコスパを考えるのってかなりの難易度だと思うし、そういう場面では、面白くなくても「(面白く感じないということが知れて)面白かった」という姿勢が必要とされるように感じます。それが分かるだけで費用対効果は高い、みたいな考え方ね。
でも、スマホとかYouTubeとかのアドレナリンな快楽に晒されていると、そういう、まどろっこしい面白さを感じる神経が、休眠状態になってしまう気がする。
めっちゃ思い付きで、だだっと書いているので、もう少し考えようっと。そして、考えがまとまったら、友達に伝えようと思います。