#2 バスケとの出会い
お世話になっております、井上諒汰です。
前回の「note始めました。」が思いのほか反響がありとても嬉しく、少し調子に乗りながら第2回は何書こうかなとノート(実際の紙のやつね)に話のネタを大量に箇条書きしました。しかしここで満足し、なかなか次作が書けずにいました。笑
そんなこんなで第2回の話題を決めかねていたのでInstagramにて皆さんが読みたい話題を募集し、たくさんの回答をいただきました。回答してくれた皆様ありがとうございます!その中からまずは僕が愛してやまない『バスケットボール』との
出会いについて書こうと思います。
生まれつきバスケ選手
私には8歳上の兄と4歳上の姉がいます。2人ともバスケを小学校から高校卒業までしていました。今はプレーこそしないものの、僕とBリーグの熱狂的なファンです。
特に兄は僕が生まれる頃にはミニバスを始めていて、アニメ『スラムダンク』にも熱中。僕の名前を登場キャラクターの『宮城リョータ』から諒汰にしました。
どうやら生まれた時からバスケをする運命だったようです。もっと言えば生まれる前から兄のミニバスに母と行っていたので(お腹の中で)僕にとって
バスケは胎教でした。ドヤ(父譲りの)
1つ誤算があるとすれば、
父170センチ 母153センチ
兄170センチ 姉160センチ
リョータ185センチ 遺伝に反してデカくなりすぎたのでリョータというより、花道または楓あたりのがよかったのではということです。笑
名前、兄と姉の影響、そして実家にはバスケのリングがある環境。正直僕はバスケを始めた年齢がわかりません。気づけばボールを触っていたし、気づけばシュートを撃っていました。
…ここまでだとかなりカッコいいバスケに選ばれし男。的な感じですが実際は僕は野球がやりたかったです。笑
理由は父が巨人の年間シートを持っていてしょっちゅう東京ドームへ試合を見に行っていたし、夜見るテレビといえば巨人の中継です。暇さえあれば巨人の打順を考えたり、打撃フォームのモノマネなどをしていました。
バスケのリングを横目にグローブをはめ父とキャッチボールしたり、1人で壁当てしながら変化球や内野の守備練習などを独学でみっちりしていました。笑
その時間は最高に楽しく大好きでした。
そして小学校へ入学。僕の通う小学校にはソフトボールとバスケ、フットサルチームがありました。しかしソフトボールクラブは4年生からしか参加できません。小学校1年生からクラブ活動をしたかった僕は仕方なく兄と姉と同じミニバスケットボールを始め、4年生になったらソフトボールクラブへ転入し、中学からは野球部に入ろうと密かに誓っていました。
しかしそこからバスケットボールの虜になり、4年生になる頃にはミニバスをやめるどころか、たくさんの友達を誘い当初は3人だった同級生を8人に増やすのですが長くなりそうなのでミニバス時代の話はまたの機会にするとしましょう。
今回も読んでいただきありがとうございました。
noteをさらに活用していく予定なので、ぜひまた読みに来てください。
ではまた。
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